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連載第95回 → 乱兆(一)
(全14冊本第2巻「群星の巻」初回。昭和14年12月20日付掲載)
前回はこちら → 空腹・満腹(三)
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年明けて、建安三年。
曹操もはや四十を幾つかこえ、威容人品ふたつながら備はつて、その覇気熱情も日頃は温雅典麗な貴人の風につゝまれてゐる。時には閑(カン)を愛して独り書を読み、詩作に耽(ふけ)り、終日、春闌の室を出ることもなかつた。又或る日は家庭の良き父となりきつて、幼い子女等と他愛なく遊び戯れ、家門は栄え、身は丞相の顕職にあり、今や彼も、功成り名遂げて、弓馬剣槍のこともその念頭を去つてゐるのであるまいかと思はれた。
正月、朝(テウ)にのぼつて。
彼は天子に謁し、賀をのべた後(あと)で、
「ことしも亦(また)、西へ征旅に赴かねばなりますまい」
と、云つた。
南の淮南は、去年、一たゝきに叩いて、やゝ小康を保つてゐる。
西といへば、さし当つて、近ごろ南陽(河南省・宛城)から荊州地方に蠢動(シユンドウ)してゐる張繡がすぐ思ひ出される。
果(はた)せるかな。
その年、初夏四月。
丞相府の大令が発せられるや、一夜にして、大軍は西方へ行動を起した。
討伐張繡!
士気は新鮮だつた。軍紀は凜々と振(ふる)つた。
天子は、みづから鑾駕(ランガ)をうながして、曹操を外門の大路まで見送られた。
ちやうど夏の初めなので、麦はよく熟している。大軍が許都郊外から田舎道へ流れてゆくと、麦畑に働いてゐた百姓たちは、恐れて、われがちに逃げかくれた。
曹操は、それを眺めて、
「地頭や村老をよべ」
と命じ、やがて、恐る/\揃つて出た村長(むらをさ)や百姓たちに向つて、かう諭した。
「せつかくお前たちの汗と丹精によつて、このやうに麦の熟した頃、兵馬を出すのも、亦(また)やむを得ない国策に依るのである。——だが案じるな、こゝを通るわが諸大将の部隊に限つては、断じて、田畑を踏みあらすことのないやうに軍令を発してある。又、村々において、寸財の物でも掠(かす)め取る兵があれば、すぐ訴へ出ろ。われ/\麾下の大将は、立ちどころに犯した兵を斬り捨てゝしまふであらう」
この事を伝へ聞いて、村老(ソンラウ)野娘(ヤヂヤウ)も、畑にありながら、安心して、軍隊を見送つた。
軍律はよく行き渡つてゐる。兵も馬も、狭い麦のほとりを通る時は、馬の手綱をしめ、手をもつて麦を分けながら行つた。
ところが。
曹操の乗つてゐた馬が、どうしたのか、ふと、野鳩(のばと)の羽音におどろいて、急に撥(は)ねあがり、麦畑へ狂ひこんで、麦を害(そこ)ねた。
曹操は、何思つたか、
「全軍、止れ!」
と、急に命じ、行軍主簿(カウグンシユボ)を呼んで云ふには、
「今。不覚にも自分は、みづから法令を出して、その法を犯してしまつた。すでに、統率者自身、統率をやぶつたのだ。何をもつて。人を律し、人を正し、人を服させよう。——予は、自害して、法を明(あきら)かにするのが、予の任務であると信じる。諸軍よ、予の死を悲しまず、さらに軍紀を振起し、一意、天下の為に奉ぜよ」
云ひ終ると、剣を抜いて、あはや自刃しようとした。
「滅相もない!」
諸将は、愕然として、彼の左右から押しとゞめた。
「お待ち下さい。春秋の語にも、法は尊きに加へず——とあります。丞相は大軍を統(す)べ給ふ身、丞相の生死は、軍全体の死活です。われわれが可愛いゝと思つたら、御自害はお止(とゞ)まりください」
「ムヽ、さうか。春秋の時すでにさういふ古例があつたか。然(しか)らば、父の賜ものたる髪を切つて、断罪の義に代へ法に服した證(あかし)となさう」
と、わが髪をつかみ、片手の短剣をもつて、根元からぶすりと断(き)つて、主簿に渡した。
秋霜厳烈!
それを目に見、耳につたへて、悚然(セウゼン)、自分を誡(いまし)めない兵はなかつた。
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次回 → 梅酸・夏の陣(二)(2024年10月8日(火)18時配信)