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連載第95回 → 乱兆(一)
(全14冊本第2巻「群星の巻」初回。昭和14年12月20日付掲載)
前回はこちら → 仲秋荒天(二)
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「すは!」
国境で哨兵(セウヘイ)は狼火をあげた。
「一大事」
とばかり伝騎は飛ぶ。
早打(はやうち)、また早打。——袁術の寿春城へさして、忽ち櫛の歯をひくやうに変を知らせて来た。
「曹、玄、呂、三手の軍勢が一体となつて——」
と聞くと、さすがの袁術も、もつてのほかに驚倒した。
「とりあへず橋蕤まゐれ」
と、防戦に立たせ、袁術は即刻大軍議をひらいたが、とやかくと論議してゐるまにも、頻々として、
「敵は早くも、国境を破り、なだれ入つて候ぞ」
との警報である。
袁術も臍(ほぞ)をかため、自ら五万餘騎をひいて寿春を出で、敵を途中にくひとめんとしたが、
「先鋒の味方あやふし」
といふ敗報がすでに聞え渡つて来た。
と、思ふまに、
「味方の先鋒の大将橋蕤は、惜(をし)くも敵方の先手の大将夏侯惇とわたりあひ、乱軍のなかに於(おい)て、馬上より槍にて突き伏せられました」
と、又もや、おもしろくない注進であつた。
袁術の顔いろが悪くなるたびに、袁術の中軍は動揺し出した。
「あれあれ、あの馬けむりは、敵の大軍が近づいて来たのではないか」
怯(ひる)み立つた士気には、
「退(ひ)くな」
と必死に督戦する中軍の令も行はれず、全軍、目ざましい抗戦もせず総退却してしまつた。
袁術もやむなく、中軍を退いて寿春城の八門をかたく閉(とざ)し、
「この上は、城地を守つて、遠征の敵の疲れを待たう」
と、長期戦を決意した。
寄手は、浸々(シン/\)と、寿春へつめよせる。
呂布の軍勢は、東から。劉玄徳の兵は、西から。
又、曹操は北方の山をこえて、淮南の野(ヤ)を真下にのぞみ、すでにその総司令部を寿春から程遠からぬ地点まで押しすゝめて来たといふ。
寿春の上下は色を失ひ、城中の諸大将も、評議にばかり暮してゐるところへ、又(また)復(また)、西南の方面から、霹靂(ヘキレキ)のやうな一報がひゞいて来た。
曰(いは)く、
「——呉の孫策、船手(ふなで)をそろへて、大江を押渡り、曹操と呼応して、これへ攻めよせて来るやに見えます!」
西南の急報を聞いて、
「なに、孫策が」
と、袁術は、仰天した。
彼は、先頃その孫策からうけた無礼な返書を思ひあはせて、身を震はせた。
「恩知らず。忘恩の賊子め」
しかし、いくら罵つてみても事態はうごかない。
袁術は今や手足のおく所も知らなかつた。眼前の曹軍があげる喊(とき)の声は、万山の吼(ほ)えるが如く、背後にせまる江南数百の兵船は海嘯(つなみ)のやうに彼を脅かして、夜の眠りも与へなかつた。
睡眠不足になつた袁術皇帝をかこんで、けふも諸大将は陰々滅々たる会議に暮らしてゐたが、時に、楊大将が云つた。
「陛下。もういけません。寿春に固執して、こゝを守らうとすれば、自滅あるのみです。畏れながら、かくなる上は、御林(ギヨリン)の護衛軍をひきゐて、一時淮水を渡られ、他へお遷りあつて、自然の変移をお待(まち)あるしかございますまい」
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次回 → 空腹・満腹(一)(2024年10月3日(木)18時配信)