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連載第95回 → 乱兆(一)
(全14冊本第2巻「群星の巻」初回。昭和14年12月20日付掲載)
前回はこちら → 仲秋荒天(一)
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南征の師は、号して三十万とはいふが、実数は約十万の歩兵と、四万の騎兵隊と、千餘車の輜重(シチヤウ)とで編制されてゐた。
許都を立つに先だつて、もちろん曹操は豫州の劉備玄徳へも、徐州の呂布へも、参戦の誘文を発しておいた。
秋天(シウテン)将(まさ)にたかし
われ淮水に向つて南下す
乞ふ、途上に会同せられよ
檄(ゲキ)に依つて劉玄徳は、関羽、張飛などの精猛をひきつれて、豫章の堺で待ちあはせてゐた。
曹操は、彼を見ると、晴々と
「いつもながら信義に篤い足下の早速な会同を満足におもふ」
と、云つた。
盟軍の旗と旗とは交歓され、その下に暫(しば)し休息しながら、両雄は睦(むつ)まじさうに語らつてゐた。
玄徳は、関羽をかへりみて
「あれを、こゝへ」
と、いひつけた。
関羽の手で、そこへ差出されたのは、二(ニ)顆(クワ)の首級だつた。
驚いて、曹操は
「何者の首か?」
と眼をみはつた。
玄徳は答へて
「一つは韓暹の首、一つは楊奉の首です」
「袁術の内部から裏切して、呂布の味方につき、地方へ赴任したあの二人か」
「さうです。その後の両名は、沂都、瑯琊の両県に来て、吏庁にのぞんでゐましたが、忽ち苛税を課し、良民を苦しめ、部下に命じて掠奪を行はしめ、婦女子をとらへて姦(カン)するなど、人心を険悪にすること一通りでありません。依つて、人民の乞(こひ)をいれ、又、吏道を正す意味で、ひそかに関羽、張飛に命じ、両名を酒宴に招いて殺させました」
「ほう。さうか」
「ついては、丞相の命を待たずに行つたことですから、今日は御処罰を仰ぐつもりでをります——独断をもつて、両名を誅伐した罪、どうかお糺(たゞ)しください」
「何をいふ。君のしたことは、吏道を粛正し、良民の害をのぞいたので、私怨私闘とはちがふ、その功を、賞(ほ)めこそすれ、咎める点はない」
「おゆるし給はるか」
「もちろん、呂布へは、自分からも、よきやうに云つておかう。御安堵あるがよい」
こゝ数日、秋の空はよく澄んで、日中は暑いくらゐだつた。
しかし、南下するに従つて、行軍は道に悩んだ。
——と、いふのは今年、徐州以南の淮水の地方は、かなり大雨がつゞいたらしい。
為に、諸所の河川は氾濫(ハンラン)し、崖はくづれ、野には無数の大小の湖ができてしまひ、馬も人も、輜重の車も、泥濘(デイネイ)に行きなやむこと一通りでなかつた。
「やあ、難行軍だつたでせう」
呂布は、徐州の堺まで迎へに出てゐた。
曹操はあいそよく
「御健勝でよろこばしい」
と、会釈の礼を交はし、兵馬は府外に駐屯し、その後、駅館の歓迎宴では、劉玄徳も同席して、袁術討伐の気勢をあげた。
如才(ジヨサイ)ない曹操は、
「このたびの南征には、大いに君の力を借りねばならんが、就(つい)ては、自分から朝廷に奏して、君を左将軍に封じておいた。——印綬は、いづれ戦後、改めて下賜されよう」
と、告げた。
呂布は元よりさういふ好意に対しては過大によろこぶ漢(をとこ)である。
「犬馬の労も惜(をし)まず」
と、ばかり意気ごむ。
こゝに、曹、玄、呂の三軍は一体となつて、続々、南進をつゞけ、陣容は完(まつた)く成つた。
すなはち曹操を中軍として、玄徳は右をそなへ、呂布は左にそなへた。
これに対し、淮南の自立皇帝袁術には、そも何(ど)ういふ対策があらうか。
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次回 → 仲秋荒天(三)(2024年10月2日(水)18時配信)