[新設]ターミナルページはこちら(外部サービス「note」にリンク)
連載第95回 → 乱兆(一)
(全14冊本第2巻「群星の巻」初回。昭和14年12月20日付掲載)
前回はこちら → 増長冠(二)
***************************************
雲間の龍を見て吼(ほ)える虎のやうに、呂布は、袁術のゐる所を仰いで云つた。
「おうつ、われ今そこへ行かん。対面して、返辞をしよう。うごくな袁術つ」
馬をすゝめて、中軍の前備へを一気に蹴やぶり、峰ふところへ躍り入ると、
「呂布だぞ」
「近づけるな」
と、袁術の将星、梁紀(リヤウキ)、楽就(ガクシウ)の二騎が、土砂交(まじ)りの山肌を辷(すべ)るが如く馳け下つて来て、呂布を左右から挟んで打つてかゝる。
「邪魔するな」
呂布は、馬首を高く立て楽就の駒を横へ泳がせ、画桿(グワクワン)の方天戟をふりかぶつたかと思ふと、人馬もろ共、一抹の血けむりとなつて後(うしろ)に仆(たふ)れてゐた。
「卑怯つ」
逃ぐるを追つて、梁紀の背へ迫つてゆくと、横あひから、
「呂布、待て」
と、敵の大将李豊(リホウ)、捨身に槍をしごいて、突ツかけてくる。
同時に、四沢(シタク)の岩石が一度になだれ落ちてくるかのやうに、袁術の旗下や部下の夥(おびたゞ)しい人馬が駆け寄せ、
「呂布を討て」
と、喚き合つた。
「虎は罠にかゝつたぞ」
袁術も、山を降りて、味方のうしろから督戦に努め、
「呂布の首も、今こそ、わが手の物」
と、小気味よげに、指揮をつゞけてゐた。
とこへ、昨夜、内部から裏切つて、前線の味方を攪乱(カクラン)した韓暹、楊奉の二部隊が、突然、間道を縫つて、谷あひの一方にあらはれ、袁術の中軍を側面から衝いた。その為、
——もう一息!
と、いふところで、呂布を討ちもらしたばかりか、形勢は逆転して、呂布と裏切者のために、袁術は追ひまくられ、峰越えに高原の道二里あまりを、命から/゛\逃げのびて来た。
すると、又も。
高原の彼方に、一(イチ)朶(ダ)の雲かと見えたのが、近づくに従つて、一颷の軍馬と化し、敵か味方かと怪しみ見てゐる遑(いとま)もなく、その中から馳けあらはれた一人の大将は漆艶(うるしつや)のやうに光る真つ黒な駿馬(シユンメ)にうち跨(また)がり、手に八十二斤の大青龍刀をひつさげ、袁術のまへに立ち塞(ふさ)がつて、
「これは豫州の太守劉玄徳が義弟(おとうと)の関羽字(あざな)は雲長なり、家兄玄徳の仰せをうけて、義のため、呂布を扶けに馳けつけて参つた。——それへ渡らせられるゝは、近ごろ自ら皇帝と僭称して、天を懼(おそ)れぬ増長慢の賊、袁術とはおぼえたり。いで、関羽が誅罰をうけよ」
と、名(な)乗(のり)かけた。
袁術は、仰天して、逃げ争ふ大将旗下のなかに包まれたまゝ、馬に鞭打つた。
関羽は、追(おひ)かけながら、遮る者をばた/\斬(きり)伏(ふ)せ、袁術の背へ迫るや、臂を伸ばして、青龍刀のただ一(イツ)揮(キ)に、
「その首、貰ツた」
と、横なぐりに、払つたが、わづかに、馬のたてがみへ、袁術が首をちゞめた為、刃はその盔(かぶと)にしか触れなかつた。
しかし、自称皇帝の増長の冠は、為に、彼の頭を離れ、〔いびつ〕になつたまゝ素ツ飛んだ。
かうして袁術はさん/゛\な敗北を喫し、紀霊を殿軍にのこして、辛くも、生命をたもつて淮南へ帰つた。
それに反して、呂布は、存分に残敵の剿滅(サウメツ)を行ひ、意気揚々、徐州へひきあげて、盛大なる凱旋祝賀会を催した。
「こんどの戦で、かくわれをして幸せしめたものは、第一に陳珪父子の功労である。第二には、韓暹、張勲(ママ)の内応の功である。——それから又、豫州の玄徳が、以前の誼(よしみ)をわすれず、曽(かつ)ての旧怨もすてて、わが急使に対し、速(すみやか)に、愛臣関羽に手勢をつけて、救援に馳けつけてくれたことである。そのほか、わが将士の力戦をふかく感謝する」
と、呂布はその席で、かう演舌して、一斉に、勝鬨(かちどき)をあはせ、又、杯を挙げた。
***************************************
次回 → 増長冠(四)(2024年9月28日(土)18時配信)