[新設]ターミナルページはこちら(外部サービス「note」にリンク)
連載第95回 → 乱兆(一)
(全14冊本第2巻「群星の巻」初回。昭和14年12月20日付掲載)
前回はこちら → 陳(ちん)大夫(たいふ)(四)
***************************************
下邳は徐州から東方の山地で、寄手(よせて)第六軍の大将韓暹は、こゝから徐州へ通じる道を抑へ、司令部を山中の嘯松寺(セウシヨウジ)において、総攻撃の日を待つてゐる。
もちろん街道の交通は止まつてゐる。野にも部落にも兵が満ちてゐた。
——けれど陳大夫は平然と通つて行つた。
白い羊を引いて。
そして、疎髯(ソゼン)を風になびかせながら行く。
「なんだろ、あの爺(おやぢ)は」
と、指さしても、咎(とが)める兵はなかつた。
咎めるには、あまりに平和なすがたである。戦場のなかを歩いてゐながら少しも危険を意識してゐない。さういふものにはつい警戒の眼を怠る。
「もう程近いな」
陳大夫は、山にかかると、時折、岩に腰かけた。この山には、清水がない。羊の乳を器にしぼつて、わづかに渇(カツ)と飢(うゑ)をしのいだ。
時は、真夏である。
満山、蟬の声だつた。岩間々々に松が多い。やがて嘯松寺の塔が仰がれた。
「おやじ。何処(どこ)へ行く」
中軍の門ではさすがに咎められた。陳大夫は、羊を指さして云つた。
「韓将軍へ、献上に来たのです」
「村の者か、おまへは」
「いゝや、徐州の者だよ」
「なに、徐州から来たと」
「陳珪という老爺が、羊を携へて訪ねて来たと、将軍に取次いでもらひたい」
陳珪と聞いて、門衛の部将は驚いた。呂布の城下に住み、徐州の客将だ。しかも先頃、曹操の推薦で朝廷から老後の扶養として祿二千石をうけたといふ。なにしろ名のある老人だ。
より驚いたのは、取次からそれを聞いた大将の韓暹である。
「何はともあれ会つてみよう」
と、堂に迎へ、慇懃にもてなした。
「これは、ほんの手土産で」
と、陳大夫は、韓暹の家来に羊を渡し、世間ばなしなどし初めた。何の用事で来たかわからない。
そのうち日が暮れると、
「今夜は月がよいらしい。室内はむし暑いから、ひとつあの松の木の下で、貴公と二人きりで、心のまゝ話したいものだが」
と、陳大夫は望んだ。
松下に莚(むしろ)をのべて、その夜韓暹と彼は、人を避けて語つた。聴くものは、梢の月だけだつた。
「老人は呂布の客将。いつたい何の用で、敵のそれがしを、突然訪ねてこられたか」
韓暹が、さう口を切ると、老人は初めて態度を正した。
「何を云はるゝか。わしは呂布の臣ではない。朝廷の臣下である。徐州の地に住んでゐるからよく人はさういふが、徐州も王土ではないか」
それから老人は急に雄弁になり出した。諸州の英雄を挙げ、時局を談じ、又風雲の帰するところを指して、
「尊公の如きは、実に惜(をし)いものである」
と、嘆いた。
「御老臺。何故、そのやうに此方のためにお嘆きあるか。願はくば教へ給へ」
「されば、それを告げんが為に、わざ/\参つた事(こと)故(ゆゑ)、申さずには居られん。——思ひ給へ、尊公は曽て、天子が長安から還幸の途次、御輦を護つて、忠勤を励んだ清徳な国士ではなかつたか。しかるに今日、偽帝袁術をたすけ、不忠不義の名を求めんとしてをる。——しかも偽帝の運命のごときは、尊公一代のうちにも滅亡崩壊するに極(きま)つてゐる。一年か二年の衣食のため、君は生涯の運命を売り、万世までの悪名を辞さない気でをられるのか。もしさうだとしたら、君のために嘆く者は、ひとりこの老人のみではあるまい」
***************************************
次回 → 増長冠(二)(2024年9月26日(木)18時配信)