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連載第95回 → 乱兆(一)
(全14冊本第2巻「群星の巻」初回。昭和14年12月20日付掲載)
前回はこちら → 陳大夫(一)
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「なにを笑ふ」
呂布は、くわつと、眼(まなこ)をいからせて、陳珪父子を睨(ね)めつけた。
「われを臆病者とは、云ひも云つたり。さほど大言を吐くからには、汝に、敵を破る自信でもあるのか」
「無くてどうしませう」
陳大夫は澄ましたものである。
呂布はせきこんで、
「あらば申してみよ。もし、確乎たる良策が立つなら、汝の死罪はゆるしてくれよう」
「計りごとはありますが、用ひると用ひざるとは、あなたの胸一つでせう。いかなる良策でも、用ひなければ空想を語るに過ぎません」
「ともかく申してみい」
「聞説(きくならく)、淮南の大兵二十餘万とかいつてゐます。しかし、烏合の衆でせう。なぜならば、袁術はこゝ遽(にはか)に、帝位につかんといふ野心から、急激にその軍容を膨脹させました。御覧なさい、第六軍の将たる韓暹は、以前、陝西の山寨(サンサイ)にゐた追剥(おひはぎ)の頭目ではありませんか。また、第七軍を率いてゐる楊奉は、叛賊李確(ママ)の家来でしたが、李確を離れて、曹操にも追はれ、居る所なきまゝ袁術についてゐる輩(ともがら)です」
「ウム。なるほど」
「それらの人間の素姓は、あなたもよく御存じのはずですのに、何を理由に、袁術の勢を怖れますか。——まづ、利を以て、彼等を抱きこみ、内応の約をむすぶことです。そして寄手を攪乱(カクラン)せしめ、使(つかひ)を派して、こちらは劉玄徳と結託します。玄徳は温良高潔の士、必ず今でも、あなたの苦境は見捨てますまい」
陳大夫の爽(さはや)かな辯に呂布は酔へるが如く聞き入つてゐたが、
「いや、おれは決して、彼等を恐れてはゐない。たゞ大事をとつて、諸臣の意見を徴(チヨウ)してみたまでだ」
と、負け惜(をし)みを云つて、陳父子の罪は、そのまゝ不問に附してしまつた。
そのかはり陳珪、陳登のふたりは謀略を施して、敵の中から内応を起させる手段を執るべし——と、任務の責(せめ)を負はされて、一時、帰宅をゆるされた。
「伜(せがれ)。あぶない所だつたな」
「父上も、思ひきつたことを仰つしやいましたな。今日ばかりは、どうなる事かと、ひや/\してをりましたよ」
「わしも、観念したな」
「ところで、よい御思案があるんですか」
「いや、何もないよ」
「どうなさるので?」
「明日は明日の風が吹かう」
陳大夫は、私邸(やしき)の寝所へはいると、又、老衰の病人に返つてしまつた。
一方、袁術のはうでは。
婚約を破棄した呂布に対し、報復の大兵を送るに当つて、三軍を閲(けみ)し、同時に
(これ見よ)
と云はぬばかりに、茲(こゝ)に、多年の野望を公然と称(うた)つて、皇帝の位につく旨を自らふれだした。
小人(セウジン)珠(たま)を抱いて罪あり。例の孫策が預けておゐた伝国の玉璽があつた為(ため)、たうとうこんな大それた人間が出てしまつたのである。
「むかし、漢の高祖は、泗上(シジヤウ)の一亭長から、身を興し、四百年の帝業を創(た)てた。しかし、漢室の末、すでに天数尽き、天下は治まらない。わが家は、四世三公を経、百姓に帰服され、余が代にいたつて、今や衆望沸き、力備(そなは)り、天応命順の理に促され、今日、九五(キウゴ)の位に即くことゝなつた。爾等(なんぢら)もろもろの臣、朕を輔(たす)けて、政事に忠良なれ」
彼はすつかり帝王になりすましてから群臣に告げ、号を仲(チユウ)氏と立て、臺省(タイセウ)官府の制を布(し)き、龍鳳の輦(レン)にのつて南北の郊を祭り、馮(ヘウ)氏のむすめを皇后とし、後宮の美姫数百人にはみな綺羅錦繍を粧(よそほ)はせ、嫡子をたてゝ東宮と僭称(センシヨウ)した。
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次回 → 陳大夫(三)(2024年9月21日(土)18時配信)