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連載第95回 → 乱兆(一)
(全14冊本第2巻「群星の巻」初回。昭和14年12月20日付掲載)
前回はこちら → 馬盗人(二)
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張飛の悪〔たれ〕が終るか終らない咄嗟(トツサ)だつた。
呂布は颯(さ)ツと満面の髯も髪もさかだてゝ、画桿(グワカン)の大戟をふりかぶるやいな、
「下郎つ」
と、凄(すさま)じい怒りを見せて打つてかゝつた。
張飛は、乗つたる馬を棹(さお)立ちに交(かは)しながら、
「よいしよツ」
と、相手の反(そ)れた戟へ、怒声をかけてやつた。
揶揄(ヤユ)された呂布は、いよいよ烈火のやうになつて、
「おのれ」
と、更に、戟を持直し、正しく馬首を向け直すと、張飛も、
「さあ、おいで」
と、一丈八尺の矛を構へて、炬(キヨ)のごとき眼(まなこ)を、呂布に向けた。
これは天下の偉観といつてもよからう。張飛も呂布も、当代、いづれ劣らぬ勇猛の典型である。
けれど同じ鉄腕の持主でも、その性格は甚だしくちがつてゐる。張飛は、徹底的に、呂布という漢(をとこ)が嫌ひだつた。呂布を見ると、何でもない日頃の場合でも、むらむらと闘志を挑発させられる。同様に、呂布のはうでも、常々、張飛の顔を見ると、ヘドを催すやうな不快に襲はれる。
かくの如く憎み合つてゐる両豪が、今や、戦場といふ時と所を得て、対(むか)ひ合つたのであるから、その戦闘の激烈であつたことは言語に絶してゐる。
戟を交(かは)すこと二百餘合、流汗は馬背にしたゝり、双方の喚きは、雲に谺(こだま)するばかりだつた。しかも猶(なほ)、勝敗はつかず、馬蹄のために辺りの土は掘り返り、陽はいつのまにか暮れんとしてゐる。
「張飛、張飛つ。なぜ引揚げぬか。家兄の命令になぜ従はん」
後(うしろ)のはうで、関羽の声がした。
気がついて、彼が前後を見まはすと、もう薄暮の戦場にのこつてゐるのは、自分ひとりだけであつた。
そして敵兵の影を遠巻(とほまき)に退路をつゝみ、草靄(くさもや)が白く野を流れてゐた。
「オーツ。——関羽かつ」
張飛は答へながら、猶(なほ)も、呂布と戦つてゐたが、成程、味方の陣地の方で遠く退(の)き鐘が鳴り響いてゐる——。
「はやく来い。そんな敵は打(うち)すてて引揚げろ」
関羽は、彼のために、遠巻の敵の一角を斬りくづしてゐた。張飛もいさゝか慌てゝ、
「呂布、明日又来い」
と云ひすてゝ馳け出した。
何か、呂布の罵る声がうしろで聞えたが、もう双方の姿も朧(おぼろ)な夕闇となつてゐた。関羽は、彼のすがたを見ると馳け寄つて来て、
「家兄が御立腹だぞ」
と、さゝやいた。
県城へ引揚げて来ると、劉備はすぐ張飛を呼んで詰問した。
「又も其方は禍をひき起したな。——一体、盗んだ馬は、どこに置いてあるのか」
「城外の前の境内にみな繫(つな)いであります」
「道ならぬ手段をもつて得た馬を玄徳の厩(うまや)につなぐ事はできない。——関羽、その馬匹を、ことごとく呂布へ送り返せ」
関羽はその晩二百餘頭の馬匹をすべて呂布の陣へ送り返した。
呂布は、それで機嫌を直して、兵を引かうとしたが、陳宮がそばから諫めた。
「今もし玄徳を殺さなければ、必ず後の禍です。徐州の人望は、日にまして、あなたを離れて、彼の身にあつまりませう」
さう聞くと呂布は、玄徳の道徳や善行が、かへつて恐(おそろ)しくも憎くもなつた。
「さうだ。人情はおれの弱点だ」
その儘(まゝ)、息もつかず翌日に亘(わた)つて、攻め立てたので、小勢の県城は、忽ち危くなつた。
「どうしよう?」
玄徳が、左右に諮ると、孫乾が云つた。
「この上はぜひもありません。一旦城を捨てゝ、許都へ走り、中央にある曹操へ恃(たの)んで、時をうかゞひ、今日の仇を報じようではありませんか」
玄徳は、彼の説に従つて、その夜三更、搦手(からめて)から脱け出して、月の白い道を、腹心の者と、わづかな手勢だけで、落ちのびて行つた。
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次回 → 胡弓夫人(こきゆうふじん)(一)(2024年9月9日(月)18時配信)
なお、日曜日については夕刊が休刊のため、配信はありません。