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連載第95回 → 乱兆(一)
(全14冊本第2巻「群星の巻」初回。昭和14年12月20日付掲載)
前回はこちら → 馬盗人(一)
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「穀つぶしめ。貴様たちは日頃、なんのために祿(ロク)を喰つてゐるか」
呂布は、声荒らげて、宋憲等の責任を糺(たゞ)した。
「——大事な軍馬を数多強盗に奪はれましたと、〔のめのめ〕と面を揃へて立帰つて来る役人がどこにあるつ。強盗などを見かけたら即座に召捕るのが汝等、吏たる者の職分ではないか」
「お怒りは、重々、御もつともで御座いまするが」
と、宋憲は、怒れる獅子王の前に、ひれ伏したまゝ言(いひ)訳(わけ)した。
「何ぶんにも、その強盗が、凡(たゞ)の野盗や山賊などではございません、いづれも屈強な男ばかりでみな覆面してをりましたが、中にも一際背のすぐれた頭目などは、われわれ共を、まるで小児の如く取つて投げ、近寄ることも何(ど)うする事も出来ません。——しかもその行動は怖(おそろ)しく迅速で、規律正しく、われわれの乗馬を奪つて跳びのるが早いか、その頭目の号令一下に、馬匹の群に鞭を加へ、風のやうに逃げてしまつたのです。……餘りに鮮やかなので、不審に思つて、内々、取調べてみますと、われわれの手には及ばなかつた筈(はず)です。——その覆面の強盗共は、実は、小沛の劉玄徳の義弟(おとゝ)、張飛といふ者と、その部下たちでありました。」
「なに。それが張飛だつたと……?」
呂布の忿怒は、小沛の方へ向けられた。しかしまだ多少疑つて、
「慥(たしか)か。——慥にそれに相違ないか」
と、念を押した。
「決して、偽りはありません」
「うぬつ」
と、呂布は牙を嚙んで、席を突つ立ち、
「おれの堪忍はやぶれた」
と、咆哮した。
城中の大将たちは、直(たゞち)に呼び出された。呂布は立つた儘(まゝ)でゐた。そして一同そこに立ち揃ふと、
「劉備へ宣戦する!すぐさま小沛へ押し寄せろ」
命を下すや否(いな)、彼も甲冑をつけて、赤兎馬に股(また)がり、軍勢をひいて小沛の県城へ迫つた。
驚いたのは、玄徳である。
「何(なに)故(ゆゑ)に?」
理由がわからない。
しかし事態は急だ。防がずにゐられない。
彼も、兵を従へて、城外へすゝみ出た。そして大音をあげて、
「呂将軍、呂将軍。この態(テイ)は抑(そも)、何事ですか。故なく兵をうごかし給ふは近頃、奇怪なことに思はれますが」
「吐(ほ)ざくな、劉備」
呂布は、姿を見せた。
「この恩知らず!先に、この呂布が、轅門(ヱンモン)の戟(ほこ)を射て、危いところを、汝の一命を救つてやつたのに、それに酬いるに、わが軍馬二百餘頭を、張飛に盗ませるとは何事だ。偽(ギ)君子め!汝は強盗を義弟として、財を蓄へる気か」
ひどい侮辱である。
玄徳は顔色を変へたが、身に覚えない事なので、茫然、口をつぐんでゐた。すると張飛はうしろから戟(ほこ)をさげて進み出で、劉備の前に立ちふさがつて言ひ放つた。
「吝(しみ)ツたれ奴(め)!二百匹ばかりの軍馬が何だ。あの馬を奪り上げたのは、かくいふ張飛だが、われをさして強盗とは聞き捨てならん。おれが強盗なら汝は糞賊(フンゾク)だ」
「なに、糞賊?」
呂布もまごついた。世にさまざまな賊もあるが、まだ糞賊といふのは聞いたこともない。張飛のことばは無茶である。
「さうではないか!汝は元来、寄る辺(べ)なく、この徐州へ頼つて来た流寓の客にすぎぬ。劉兄のお蔭で、いつのまにか徐州城に居直つてしまひ、太守(タイシユ)面(づら)をしてゐるのみか、国税もすべて横領し、むすめの嫁入支度と云つては、民の膏血(カウケツ)をしぼり、この天下多難の秋に、眷族(ケンゾク)そろつて、能もなく、大糞ばかりたれてゐる。されば、汝ごとき者を、国賊といふのも勿体ない。糞賊といふのだ。わかつたか呂布つ」
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次回 → 馬盗人(三)(2024年9月7日(土)18時配信)