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連載第95回 → 乱兆(一)
(全14冊本第2巻「群星の巻」初回。昭和14年12月20日付掲載)
前回はこちら → 花嫁(三)
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「なるほど」
呂布も、彼に云はれてみれば、至極、尤(もつと)もであると思ふのだつた。
「——だが、弱つたなあ」
「何がお困りですか」
陳宮は突つこんで訊ねた。
呂布は頭を搔いて、
「実は、夫人(おく)もこの縁談には乗気(のりき)で、非常な歓びだものだから……つい其方(そち)にも計らぬうち、袁術の使者へ、承諾の旨を答へてしまつた」
「結構ではありませんか。てまへはべつに今度の縁談をお止(とゞ)め申してゐるのではございません」
「——だが、使者の韓胤は、もはや淮南へ、帰国してしまつたのだ」
「それも構ひません」
「なぜ。どうして」
呂布は、怪しんだ。
あまりに陳宮が落付きはらつて居るので妙に思はれて来たらしい。
陳宮は、かう打明けた。
「——実はです。今朝(コンテウ)、てまへ一存で、ひそかに韓胤の旅館を訪問し、彼と、内談しておきました」
「なに。袁術の使者と、おれに黙つて会つてゐたのか」
「心配でなりませんから」
「——で。何(ど)ういうはなしを致したのか」
「わたしは、韓胤に会ふと、単刀直入に、かう口を切つて云ひました。
こんどの御縁談は
つまるところ——
貴国に於ては
劉備の首がお目〔あて〕でせう。
花嫁は花嫁として
後から欲しいお荷物は
劉備の首、それでせう!
いきなり手前が云つたものですから韓胤は驚いて、顔色を失ひましたよ」
「それはさうだらう。……そしたら韓胤は何と答へたか」
「やゝ暫くてまへの面を見てゐましたが、やがて声をひそめて
——左様な儀は
どうか大きなお声では
仰つしやらないやうに。
と、あれもなか/\一〔くせ〕ある男だけに、いゝ返辞をしたものです」
「ふウム。それから、其方は何を云はうとしたのか」
「花嫁のお輿(こし)入(いれ)は、世間の通例どほりにしては、必ず、不吉が起る。順調に運ぶとは思はれない。だから、自分からも、主君にさうおすすめ申すから、貴国の方でも、即刻お取急ぎ下さるやうに。……かう申して帰つて来たのです」
「韓胤は、おれには、何も云はなかつた」
「それは云はないでせう。この縁談は、政略結婚ですと、明(あきら)かに云つて来るお使者はありませんからな」
陳宮は、かう云つたら、呂布が考へ直すかと思つて、その顔いろを見つめてゐたが、呂布の心は、娘を嫁がせる支度やその日取にばかりもう心を奪はれてゐた。
「では、日取は、早いほどいゝわけだな。何だか、ばかに気(き)忙(ぜわ)しくなつたぞ」
彼は又、後閣へ向つて、大股にあるいて行つた。
妻の厳氏にいひふくめて、それから、夜を日についで、輿入の準備をいそがせた。
あらゆる華麗な嫁(よめ)入(いり)妝匣(だうぐ)がそろつた。夥(おびたゞ)しい金襴(キンラン)や綾羅(レウラ)が縫はれた。馬車や蓋が美々しくできた。
いよ/\花嫁の立つ朝は来た。東雲(しのゝめ)の頃から、徐州城のうちに、鼓楽の音がきこえてゐた。ゆふべから夜を明かして、盛大な祝宴は張られてゐたのである。
やがて、禽(とり)の啼く朝の光と共に、城門はひかれ、花嫁をのせた白馬(ハクバ)金蓋(キンガイ)の馬車は、たくさんな侍女侍童や、美装した武士の列に護られて、まるで紫の雲も棚びくかとばかり、城外へ送り出されて来た。
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次回 → 花嫁(五)(2024年9月4日(水)18時配信)