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連載第95回 → 乱兆(一)
(全14冊本第2巻「群星の巻」初回。昭和14年12月20日付掲載)
前回はこちら → 花嫁(二)
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やがて、呂布は起きて来た。
「おゝ、陳宮か、早いな」
「ちと、おはなしがありまして」
「何ぢや」
「袁家との御縁談の儀で」
陳宮の顔つきから見て、呂布は心のうちで、ちよつと当惑した。
また何か、この諫言家が、自分を諫めに来たのではないか。
もう先方へは承諾を与へてある。今、内輪から苦情をもち出されてはうるさい。
「……」
そんな顔しながら、寝起きの鈍い眼を、横へ向けてゐた。
「おさしつかへ御座いませんか。こゝで申し上げても」
「反対かな。そちは」
「いや、決して」
陳宮が、頭を下げたので、呂布はほつとして、
「吏員共が出てくるとうるさい。あの亭へ行かう」
閣を出て、木蘭の下を歩いた。
水亭の一卓を囲んで、
「そちにはまだ話さなかつたが、妻も良縁といふから、娘をやることに決めたよ」
「結構でせう」
陳宮の答へには、すこし奥歯に物が挟まつてゐる。
「いけないかね」
呂布は、彼の諫めを惧(おそ)れながら、彼の保證をも求めてゐた。
「いゝとは思ひますが、その時期が問題です。挙式は、いつと約しました」
「いや、まだそんなところまでは進んでゐない」
「約束からお輿(こし)入(いれ)までの日取には、古来から一定した期間が定まつてをりませう」
「それに拠らうと思ふ」
「いけません」
「なぜ」
「世上一般の慣例としては、婚約の成立した日から婚儀までの期間を、身分によつて、四いろに分けてゐます」
「天子の華燭の式典は一ケ年、諸侯ならばそのあひだ半年、武士諸大夫は一季、庶民は一ケ月」
「その通りです」
「そうか。むゝ……」
と、呂布はのみこみ顔で、
「袁術は、伝国の玉璽を所有してをるから、早晩、天子となるかもしれない。だから、天子の例にならへと云ふのか」
「ちがひます」
「では、諸侯の資格か」
「否(いや)」
「大夫の例で行へといふか」
「いけません」
「然(しか)らば……」
と、呂布も気色(けしき)ばんだ。
「おれの娘をやるのに、庶民なみの例で輿入せいと申すか」
「左様なことは、誰も、申し上げますまい」
「わからぬ事をいふやつ、それでは一体、どうしろと云ふのか」
「事は、家庭の御内事でも、天下の雄将たるものは、常に、風雲をながめて何事もなさるべきでせう」
「もちろん」
「驍勇並ぶ者なきあなたと、伝国の玉璽を所有して、富国強兵を誇つてゐるところの袁家とが、姻戚として結ばれると聞いたら、これを呪咀し嫉視せぬ国がありませうか」
「そんな事を怖れたらどこへも娘はやれまい」
「しかし、万全を図るべきでせう。御息女のお為にも。——お輿入の吉日を、千載の好機と待ちかまへ、途中、伏兵でもおいて、花嫁を奪ひ去るやうな惧(おそ)れがないといへますか」
「それもさうだ……ぢやあ何(ど)うしたらいゝだらう」
「吉日を待たないことです。身分も慣例も構ふことではありません四隣の国々が気づかぬまに、疾風迅雷、御息女のお輿を、まず袁家の寿春まで、お送りしてしまふことです」
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次回 → 花嫁(四)(2024年9月3日(火)18時配信)