[新設]ターミナルページはこちら(外部サービス「note」にリンク)
連載第95回 → 乱兆(一)
(全14冊本第2巻「群星の巻」初回。昭和14年12月20日付掲載)
前回はこちら → 平和主義者(二)
***************************************
関羽は張飛を諭した。
「貴様、それほどまで、呂布を疑つて、万一を案じるなら、なぜ、命がけでも、守護するの覚悟をもつて、家兄のお供して呂布の陣へ臨まないか」
張飛は、唾するやうに、
「行くさ!誰が行かずにいるものか」
と、玄徳に従つて、自分もあわてゝ馬に乗つた。
関羽が苦笑すると、
「何を笑ふ。自分だつて、行くなと止めた一人ぢやないか」
と、まるで子どもの喧嘩腰である。
呂布の陣へ来ると、猶(なほ)さら張飛の顔は硬(こは)ばつたまゝ、ニコともしない。さながら魁偉な仮面だ。眼ばかり時々、左右へ向つてギヨロリとうごく。
関羽も、油断せず玄徳のうしろに屹然(キツゼン)と立つてゐた。
やがて、呂布が席についた。
「よう来られた」
この挨拶はいゝが、その次に、
「この度は御辺の危難をすくふため此(この)方(ハウ)もずゐぶん苦労した。この恩を忘れないやうにして貰ひたいな」
と、云つた。
張飛、関羽の二つの顔がむらむらと燃えてゐる。——が、玄徳は頭(かしら)を低く下げて、
「御高恩のほど、何とて忘れませう。忝(かたじけ)なうぞんじます」
そこへ、呂布の家臣が、
「淮南の大将紀霊どのが見えました」
「オ。はや見えたか。これに御案内しろ」
呂布は、軽く命じて、〔けろり〕と澄ましてゐるが、玄徳は驚いた。
紀霊は、敵の大将だ。しかも交戦中である。あわてゝ席を立ち、
「お客のやうですから、私は失礼してをりませう」
と、避けてそこを外さうとすると、呂布は押止めて、
「いや、今日はわざと、足下と紀霊とを、同席でお呼びしてあるのだ。まあ、相談もあるから、それへかけておいでなさい」
そのうちに、もう紀霊が、つい外まで案内されて来た様子。
呂布の臣と何か話しながらやつてくるらしく、豪快な笑ひ声が近づいてくる。
「こちらです」
案内の武士が、営門の帷(とばり)を揚げて、閣の庭を指すと、紀霊は何気なく入りかけたが、
「……あつ?」
と、顔色を変へて、そこへ足を止めてしまつた。
玄徳、関羽、張飛。
敵方の三人が、揃ひも揃つてそこの席にゐたのである。——紀霊にしても驚いたのはむりもない。
呂布は、振返つて、
「さ。これへ来給へ」
と、空いてゐる一席を指さした。
しかし、紀霊は、疑はずにゐられなかつた。恐怖のあまり彼は身を翻(ひるがへ)して、外へ戻つてしまつた。
「来給へといふのに。何を遠慮召さるか」
呂布は立つて行つて、彼の臂(ひじ)をつかまへた。そして、小児の如く吊り下げて、中へ入れようとするので、紀霊は、
「呂公、呂公。何科(なにとが)あつて、君はこの紀霊を、殺さうとし給ふのか」
と、悲鳴をあげた。
呂布は、くす/\笑つて、
「君を殺す理由はない」
「では、玄徳を殺す計で、あれに招いてをるのか」
「いや、玄徳を殺す気もない」
「然(しか)らば……然らば一体どういふおつもりで?」
「双方のためにだ」
「解らぬ。まるで狐につままれたやうだ。さう人を惑はせないで、本心を語つて下さい」
「おれの本心は、平和主義だ。おれは元来、平和を愛する人間だからね。——そこで今日は、双方の顔をつき合せて、和睦の仲裁をしてやらうと考へたわけだ。この呂布が仲裁では、君は役不足といふのか」
***************************************
次回 → 平和主義(四)(2024年8月28日(水)18時配信)