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連載第95回 → 乱兆(一)
(全14冊本第2巻「群星の巻」初回。昭和14年12月20日付掲載)
前回はこちら → 平和主義者(一)
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呂布も、さう甘くはない。
「はてな、今となつて、あの袁術が、莫大な財貨を贈つて来たのは、何(ど)ういふ肚なのだらう」
元より、意欲では歓んだが、同時に疑心も起した。
「陳宮、そちは何(ど)う思ふ」
腹心の陳宮に問ふと、
「見えすいたことですよ」
と陳宮は笑つた。
「あなたを牽制しておいて、一方の劉備を討たうといふ袁術の考へでせう」
「さうだらうな。おれも何だかそんな気がした」
「劉備が小沛にゐることは、あなたにとつても、前衛にはなるが、何の害にはなりません。それに反して、もし袁術の手が伸びて、小沛が彼の勢力範囲になつたら、北方の泰山諸豪とむすんで来る惧(おそ)れもあるし、徐州は枕を高くしてゐることはできなくなる」
「その手には乗らんよ」
「さうです。乗つてはなりません。受ける物は遠慮なく受けて、冷観してをればよろしいのです」
数日の後。
果たせるかな情報が入つた。
淮南兵の怒濤が、小沛へ向つて活動しだしたといふのである。
袁術の幕将の一人たる紀霊がその指揮にあたり、兵員十万、長駆して小沛の県城へ進軍中と聞えた。
もちろん、袁術から、先に代償を払つているので、徐州の呂布には懸念なく、軍を進めてゐるらしい。
一方、小沛にある劉玄徳は、到底、その大軍を受けては、勝ち目のないことも分つてゐるし、第一、兵器や糧秣さへ不足なので、
「不測の大難が湧きました。至急、御救援をねがひたい」
と、呂布へ向つて、早馬を立てた。
呂布は、ひそかに動員して、小沛へ加勢をまはしたのみか、自身も両軍の間に出陣した。
淮南軍は、意外な形勢に呂布の不信を鳴らした。大将の紀霊からは、激越な抗議を呂布の陣へ持込んできた。
呂布は、双方の板ばさみになつたわけだが、決して困つたやうな顔はしなかつた。
「袁術からも、劉備からも、双方ともにおれを恨まぬやうに裁いてやろう」
呂布のつぶやくのを聞いて、陳宮は、彼にそんな器用な捌(さば)きがつくかしらと疑ひながら見てゐた。
呂布は、二通の手紙を書ゐた。
そして紀霊と劉備を、同日に自分の陣へ招待した。
小沛の県城からすこし出て、玄徳も手勢五千たらずで対陣してゐたが、呂布の招待状が届いたので
「行かねばなるまい」
と、起ちかけた。
関羽は、断じて引止めた。
「呂布に異心があつたら何(ど)うしますか」
「自分としては、今日まで彼に対して節義と謙譲を守つてきた。彼をして疑はしめるやうな行為は何もしてゐない。——だから彼が、予を害さうとするわけはない」
玄徳は、さう云つて、もう歩を運びかけた。すると張飛が、前に立つて、
「あなたは、さういつても、われわれには、呂布を信じきれない。——暫くお出ましは待つて下さい」
「張飛ツ。どこへ行く気か」
「呂布が城外へ出て、陣地にあるこそ勿怪(モツケ)の幸(さいはひ)です。ちよつと、兵を拝借して、彼奴の中軍をふいに襲ひ、呂布の首をあげて、ついでに、紀霊の先鋒をも蹴ちらして帰つてきます。二刻(ふたとき)とはかゝりません」
玄徳は、呂布の迎へよりも、彼の暴勇の方を遙(はる)かに恐れて、
「関羽ツ、孫乾ツ、はやく張飛を止めろ」
と左右へ云つた。
張飛はもう剣を払つて馳(かけ)出してゐたが、人々に抱き止められて漸く連れ戻されて来た。
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次回 → 平和主義者(三)(2024年8月27日(火)18時配信)