[新設]ターミナルページはこちら
(2024年8月25日より本格的に稼動予定。外部サービス「note」にリンク)
第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 名医(三)
***************************************
仲翔が放してやつた籠の小禽が、大空へ飛んでゐた頃、もう下界では、会稽の城と、潮のやうな寄手のあひだに、連日、激戦がくり返されてゐた。
会稽の太守王朗は、その日、城門をひらいて、自身、戦塵のうちを馳けまはり、
「黄口児孫策、わが前に出でよ」
と、呼ばはつた。
「孫策は、これにあり」
と声に応じて、鵯(ひよどり)のやうな若い将軍は、鏘々(サウ/\)と剣甲をひゞかせて、彼の眼前にあらはれた。
「おう、汝が、浙江の平和を騒がす不良青年の頭(かしら)か」
聞きもあへず、孫策は、
「この老猪(ラウチヨ)め、何を云ふか。良民の膏血(カウケツ)を舐め喰つて、脂ぶとりとなつてゐる惰眠の賊を、栄耀の巣窟から追ひ出しに来た我が軍勢である。——眼をさまして、疾(と)く古城を献じてしまへ」
と、云ひ返した。
王朗は、怒つて、
「虫のいゝことを云ふな」
と、ばかり打つてかゝつた。
孫策も、直ちに戟を交へようとすると、
「将軍、豚を斬るには、玉剣を要しません」
と、後(うしろ)から颯(サツ)と一人の旗下が躍つて孫策に代つて王朗へ槍をつけた。
これなん太史慈である。
素破(すは)——と王朗の旗下からも周昕(シウキン)が馬をとばして、太史慈へぶつかつてくる。
「王朗を逃がすな!」
「太史慈を打ちとれ!」
「周昕をつゝめ」
「孫策を生け捕れツ」
双方の喚(をめ)きは入りみだれ、こゝすさまじい混戦となつたが、孫軍のうちから周瑜、程普の二将が、いつのまにか後ろへまわつて退路をふさぐ形をとつたので、会稽城の兵は全軍にわたつて乱れ出した。
王朗は、命から/゛\城へひきあげたが、その損害は相当手痛いものだつたので、以来、螺(さゞえ)のやうに城門をかたく閉めて
「うかつに出るな」
と、専ら防禦に兵力を集中してうごかなかつた。
城内には、東呉から逃げて来た厳白虎もひそんでゐた。厳白虎も、
「寄手は、長途の兵、このまゝ一ケ月もたてば兵糧に困つて来ます。——長期戦こそ、彼らの苦手ですから、守備さへかためてゐれば、自然、孫策は窮してくるに極(きま)つている」
と、一方の守備をうけ持つて、いよいよ築土を高くし、あらゆる防備を講じてゐた。
果(はた)して、孫策のはうは、それには弱つてゐた。いくら挑戦しても、城兵は出て来ない。
「まだ、麦は熟さず、運輸には道が遠い。良民の蓄へを奪ひ上げて、兵糧にあてゝも忽ち尽(つき)るであらうし、第一われ等の大義が立たなくなる。——如何いたしたものだらう」
「孫策よ。わしに思案があるが」
「おゝ、叔父上ですか。あなたの御思案と仰つしやるのは?」
孫策の叔父孫静は、彼の問ひに答へて、
「会稽の金銀兵糧は、会稽の城にはないことを御身は知つてゐるか」
「存じませんでした」
「こゝから数十里先の査瀆(サトク)にかくしてあるんぢやよ。だから急に、査瀆を攻めれば、王朗は、だまつて見てをられまい」
「御尤(ごもつと)もだ」
孫策は、叔父の説をいれた。その夜、陣所々々にたくさんな篝(かゞり)を焚かせ、夥しい旗を立てつらね、さも今にも会稽城へ攻めかゝりさうな擬兵の計をして置いて、その実、査瀆へ向つて、疾風の如く兵を転じてゐた。
***************************************
次回 → 名医(五)(2024年8月23日(金)18時配信)