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第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 名医(四)
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擬兵の計を知らず、寄手のさかんな篝火(かゞりび)に城兵は、
「ぬかるな!襲(や)つて来るぞ」
と、眠らずに、防備の部署についたが、夜が白んで、城下の篝火が消えて見ると、城下の敵は一兵も見えなかつた。
「査瀆が襲はれている!」
かう聞いた王朗は、仰天して城を出た。そして査瀆へ駆けつける途中、又も孫策の伏兵にかゝつて、遂に王朗の兵は完膚なきまでに殲滅された。
王朗は漸く、身をもつて死地をのがれ、海隅(カイグウ)(浙江省・南隅)へ逃げ落ちて行つたが、厳白虎は餘杭(ヨコウ)(浙江省・杭州)へさして奔つてゆく途中元代(ゲンダイ)といふ男に酒を飲まされて、熟睡してゐるところを、首を斬られてしまつた。
元代は、その首を孫策へ献じて、恩賞にあづかつた。
かうして、会稽の城も、孫策の手に落ち、南方の地方は殆(ほと)んど彼の統治下になびいたので、叔父孫静を、会稽の城主に、腹心の君理を、吾(ママ)郡の太守に任じた。
すると、その頃、宣城から早馬が来て、彼の家庭に、小さな一騒動があつたことを報(し)らせて来た。
「或る夜、近郷の山中に住む山賊と、諸州の敗残兵とが、一つになつて、ふいに宣城へ襲(よ)せてきました。弟様の孫堅(ママ)、大将周泰のおふた方で、防ぎに努めましたが、その折、賊のなかへ斬つて出られた御舎弟孫堅(ママ)様をたすけるため、周泰どのには、甲(かぶと)も着ず、真ツ裸で、大勢を対手(あひて)に戦つたため、槍刀創(きず)を、体ぢゆうに十二ケ所も受けられ、瀕死の容態でございます」
使(つかひ)のはなしを聞くと、孫策は急いで宣城へ帰つた。何よりも、案じられてゐた母の身は、つゝがなかつたが、周泰は、想像以上、ひどい重傷で、日夜苦しがつてゐた。
「何とかして、助けてやりたいが、よい名薬はないか」
と、家臣へ、知識を求めると、先に厳白虎の首を献じて、臣下の一員となつてゐた元代が
「もう七年も前ですが、海賊に襲はれて、手前がひどい矢疵(やきず)を受けた時、会稽の虞翻といふ者が自分の友だちに、名医があるといつて紹介してくれまして、その医者の手当で、わづか十日で全治したことがありましたが」
と、話した。
「虞翻とは、仲翔のことではないか」
「よく御存じで」
と、元代は、孫策のことばに眼をみはつた。
「いや、その仲翔は、王朗の臣下だつたが、探し出して用ふべき人物だと、わしは張昭から薦められてゐたところだ。——さつそく、仲翔をさがし出し、同時に、その名医も、伴(つ)れて来てもらひたいが」
孫策の命に、
「仲翔は今、どこにゐるか」
と、諸郡の吏に、捜索の令が行き渡つた。虞翻、字は仲翔。
彼は、つい先ごろ、野(ヤ)にかくれたばかりだが、又すぐに見出されて孫策の命を聞くと、
「人ひとりの命を助けるためとあれば」
と、友人の医者を伴ひ、さつそく宣城へやつてきた。
仲翔の親友といふだけあつて、その医者も変つてゐた。
白髪童顔の老人で、いかにも清々(すが/\)と俗気のない姿だ。
野茨か何か、白い花を一輪持つて、絶えず嗅ぎながら歩いてゐる。あんまり人間くさい中へ来たので、野のにほひが恋しいといつたやうな顔つきだ。
孫策が、会つて名を問ふと、
「華陀(クワダ)」
と、答へた。
沛国譙郡の生れで、字(あざな)を元化(ゲンクワ)といふ。素姓はあるが、よけいなことは云ひたがらないのである。
すぐ病人を診(み)て、
「まづ、ひと月かな」
と、つぶやいた。
果(はた)して、一月の中に、周泰の瘡(きず)は、拭つたやうに全治した。
孫策は、非常によろこんで、
「まことに、君は名医だ」
と、云ふと華陀は、
「あなたも亦(また)、国を治す名医ぢや。ちと、療治は荒いが」
と、笑つた。
「何か、褒美に望みはないか」
と、孫策がきくと、
「何もない。仲翔を用ひて下されば、有難い」
と答へた。
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次回 → 平和主義者(一)(2024年8月24日(土)18時配信)