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第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 名医(一)
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太史慈のあざやかな一矢に、高矢倉の梁に掌を射とめられた大将は、
「誰か、この矢をはやく抜き取つてくれ」
と、悲鳴をあげて、もがいてゐたが、そのうちに、馳け寄つてきた兵が、矢を抜いて、どこかへ扶けて行つた。
その大将は、よい物笑ひとなつた。太史慈の名は、
「近ごろの名射手よ」
と、聞え渡つた。多年、浙江の一地方に居て、みづから「東呉の徳王」などと称してゐた厳白虎も
「これは侮れんぞ」
と、年来の自負心に、すこし動揺をおぼえだした。
寄手を見ると、総帥の孫策をはじめ、旗下の将星は、みな驚くほど年が若い。
新しい時代が生みだした新進の英雄群が、旺(さかん)な闘志をもつて、轡(くつわ)をそろへてゐるやうな盛観だ。
「厳輿。——こゝはひとつ考へるところだな」
彼は、弟を顧みながら、大きく腕を拱(く)んで云つた。
「どう考へるんです」
「どうつて、まあ、一時の辱(はぢ)はしのんでも深傷(ふかで)を負はぬうちに、和睦するんだな」
「降服するんですか」
「彼に、名を与えて、実権を取ればいゝさ。彼等は若いから、戦争には強いが、深慮遠謀はあるまい。睦した後で、こちらには、打つ手がある」
兄に代つて、厳輿は早速、講和の使者として、孫策の軍中へ赴いた。
孫策は、対面して、
「君が、東呉の徳王の弟か。なるほど……」
と、無遠慮に、顔をながめてゐたが、すぐ酒宴をまうけさせて、
「まあ、飲んで話さう」
と、酒をすゝめた。
厳輿は、心のうちで
「さすが、江東の小覇王とかいはれるだけあつて、颯爽たるものだが、まだ乳くさいところは脱けないな。理想主義の書生が、ふと時を得て、兵馬を持ち、有頂天になつたといふところだらう」
と、観察してゐた。そして対手(あひて)の若さを甘く見て、頻(しき)りとまづ、おだて上げてゐた。
すると、酒(さけ)半酣(ハンカン)のころ、孫策はふいに、
「君は、かうしても、平然として居られるかね」
と、何かわけの分らないことを質問し出した。
「かうしてもとは?」
厳輿が、訊きかへすと、孫策は突然、剣を抜いて、
「かうしてもだツ」
と、彼の腰かけてゐる椅子の脚を斬つた。
厳輿は仰向けにひツくり転(かへ)つた。孫策は、腹をかゝへて笑ひながら、
「だから断つてをるのに」
と、転がつた方が悪いやうに云ひながら、剣を収めて、愕(おどろ)いたまゝ蒼ざめてゐる厳輿に、手を伸ばして、
「さあ、起き給へ。酒のうへの戯れだ。——時に、東呉の徳王がお使者、御辺の兄上には、いつたいこの孫策へ向つて、いかなる条件で、和睦を求めらるゝのか。御意向を承(うけたま)はらう」
「兄が申すには……」
と、厳輿は腰のいたみを怺(こら)へながら、威儀をつくろひ直して云つた。
「つまりその、……益なき戦をして兵を損ぜんよりは、長く将軍と和をむすんで、江東の地を平等に分け合はうではありませんか。兄の意はそこにあるんですが」
「平等に?」
孫策は、眦(まなじり)をあげて、
「汝らの如き軽輩が、われ/\と同格の気で、国を分け取りにせんなどとは、身の程を知らぬも甚だしい。帰れツ」
と、罵つた。
和睦不調と見て、厳輿が、黙然と帰りかける後(うしろ)へ、とびかゝつた孫策は、一刀にその首を刎ね落して、血ぶるひした。
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次回 → 名医(三)(2024年8月21日(水)18時配信)