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第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 日時計(二)
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やがて彼は、孫策の本陣へ引かれて来た。
「万事休す」
と観念した彼は、従容(シヨウヨウ)と首の坐について、瞑目してゐた。
すると誰か、
「やあ、しばらく」
と、帳(とばり)を揚げて現れた者が、友人でも迎へるやうに、馴々しく云つた。
太史慈が、半眼をみひらいて、その人を見れば、餘人ならぬ敵の総帥孫策であつた。
太史慈は毅然として、
「孫郎か、はやわが首を刎(は)ね落し給へ」
と、云つた。
孫策は、つか/\と寄つて、
「死は易(やす)く、生は難(かた)し。君はなんでそんなに死を急ぐのか」
「死を急ぐのではないが、かくなる上は、一刻(いつとき)も恥をうけてゐたくない」
「君に恥はないだらう」
「敗軍の将となつては、もうよけいな口はきゝたくない。足下もいらざる質問をせず、その剣を抜いて一颯(イツサツ)に僕の血けむりを見給へ」
「いや/\。余は、君の忠節はよく知つてをるが、君の噴血をながめて快笑しようとは思はぬ。君は自分を敗軍の将と卑下してをらるゝが、その敗因は君が招いたものではない。劉繇が暗愚なるためであつた」
「……」
「惜(をし)むらく、君は、英敏な資質をもちながら、良き主にめぐり会はなかつたのだ。蛆(うぢ)の中にゐては、蚕も繭を作れず糸も吐けまい」
「……」
太史慈が無言のまゝ俯(うつ)向(む)いてゐると、孫策は、膝を折つて、彼の縛(いま)しめを解いて又云つた。
「どうだ。君はその命を、もつと意義ある戦と、自己の人生のために捧げないか。——云ひ換へれば、わが幕下となつて、仕へる気はないか」
太史慈は、潔く、
「参つた。降服しました。願はくばこの鈍材を、旗下において、何らかの用途に役立てゝください」
「君は、真に快男子だ。妙に体面ぶらず、その潔いところも気に入つた」
手を取つて、彼は、太史慈を自分の帷幕へ迎へ入れ、
「ところで君、先頃の神亭の戦場では、お互(たがひ)に、よく戦つたが、あの際、もつと一騎打をつゞけてゐたら、君はこの孫策に勝つたと思ふかね」
と、笑ひばなしに云つた。
太史慈も、打笑つて、
「さあ、何(ど)んなものでせうか。勝敗の程はわかりませんな」
「だが、これだけは確実だつたろう。——余が負けたら、余は君の縄目をうけてゐた」
「勿論でせう」
「そうしたら、君は余の縄目を解いて、余がなした如く、余を助けたであらうか」
「いや、その場合は、恐らくあなたの首は無かつたでせうな。——なぜならば、私にその気もちがあつても、劉繇が助けておくはずがありませんから」
「はゝゝ、尤(もつと)もだ」
孫策は、哄笑した。
酒宴をまうけて、二人はなほ愉快さうに談じてゐた。孫策は、彼に向つて、
「これから戦ひの駈引(かけひき)についてもいろ/\君の意見を訊くから、良計があつたら、教へてもらひたい」
と云つたが、太史慈は、
「敗軍の将は兵を語らずです」
と、謙遜した。
孫策は、追及して、
「それはちがふ。昔の韓信(カンシン)を見たまへ。韓信も、降将(カウシヤウ)広武君(クワウブクン)に謀計をたづねてをる」
「では、大した策でもありませんが、あなたの帷幕の一員となつた證(しるし)に愚見を一つ述べてみます。……が然(しか)し私の言は、恐らく将軍のお心に合はないでせう」
太史慈は、孫策の面を見ながら、微笑をふくんだ。
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次回 → 日時計(四)(2024年8月17日(土)18時配信)