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第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 日時計(一)
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「——火だつ」
「火災だつ」
「怪し火だ!」
銭糧倉から、又、矢倉下から、書楼の床下から、同時に又、馬糧舎からも、諸門の番人が、いちどに喚(わめ)き出した。
城将の太史慈は、
「躁(さは)ぐな。敵の計(はかり)だ。——うろたへずに消せばよい」
と、将軍臺から叱咤して、消火の指揮をしてゐたが、城中はみだれ立つた。
——びゆつツ!
——ぴゆるん!
太史慈の体を、矢がかすめた。
臺(うてな)に立つてゐられないほど風も強い闇夜である。
諸所の火の手は防ぎきれない。一方を消してゐるまに、又一箇所から火があがる。その火は忽ち燃えひろがつた。
のみならず城の三方から、猛風に乗せて、喊(とき)の声、戦鼓のひゞき、急激な攻め鉦(がね)の音などがいちどに迫つて来たので、城兵は消火どころではなく、釜中(フチウ)の豆の如く沸いて狼狽し出した。
「北門をひらいて突出しろ」
太史慈は将臺から馳け下りながら、部将へ命令した。そして真つ先に、
「城外へ出て、一挙に、孫策と雌雄を決しよう!敵は城を囲むため、三方へ全軍をわけて、幸(さいはひ)にも北方は手薄だぞ」
と、猛風を衝(つ)いて、城の外へ馳けだした。
火には趁(お)われ、太史慈には励まされたので、当然釜中の豆も溢れ出した。
ところが、手薄と見えた城北の敵は、何ぞ知らん、案外に大勢だつた。
「それつ、太史慈が出たぞ」
と合図しあふと、八方の闇から乱箭が注がれてきた。
太史慈の兵は、敵の姿を見ないうちに、夥(おびたゞ)しい損害をうけた。
それにも怯(ひる)まず、
「かゝれ/\!敵の中核を突破せよ!」
と、太史慈はひとり奮戦したが、彼につゞく将士は何人もなかつた。
その少い将士さへ斃(たふ)れたか、逃げ散つたか、あたりを見廻せば、いつの間にか、彼は彼ひとりとなつてゐた。
「——やんぬる哉(かな)、もう之(これ)までだ」
焰の城をふり向いて、彼は唇を嚙んだ。この上は、故郷の黄(クワウ)県東莱へ潜んで、再び時節を待たう。
さう心に決めたか。
なほ熄(や)まない疾風と乱箭の闇を馳けて、江岸のはうへ急いだ。
すると、後(うしろ)から、
「太史慈を逸すな!」
「太史慈、待てつ」
と、闇が吼(ほ)える。——声有る烈風が追つてくる。十里、二十里、奔つても奔つても追つてくる。
この地方には沼、湖水、小さな水溜りなどが非常に多い。長江のながれが蕪湖(ブコ)に入り、蕪湖の水が又、曠野の無数の窪(くぼ)に支(わか)れてゐるのだつた。
その湖沼や野には又、蕭々たる芦や葭(よし)が一面に生ひ茂つてゐた。——為(ため)に、彼は幾たびか道を見失つた。
「——しまツた!」
遂に、彼の駒は、沼の泥土へ脚を突つこんで、彼の体は、芦のなかへ抛(はう)り出されてゐた。
すると、四方の芦のあひだから、忽ち熊手が伸びた。
分銅だの鈎(かぎ)のついた鎖だのが、彼の体へからみつゐた。
「無念つ」
太史慈は、生擒られた。
高手小手に縛(いまし)められて、孫策の本陣へと曳かれてゆく途中も、彼は何度も雲の迅い空を仰いで、
「残念だつ」
と、眦(まなじり)に悲涙をたゝへた。
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次回 → 日時計(三)(2024年8月16日(金)18時配信)