第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 桑の家(八)
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母に打ちすゑられた儘(まま)、劉備は身うごきもしなかつた。
打々(ちやう[ちやう])と、母が打つたびに、母の大きな愛が、骨身に沁み、さんさんと涙がとまらなかつた。
「すみません!……」
母の手を宥(いたは)るやうに、劉備はやがて、打つ手を抑へて、自分の額に、押しいたゞいた。
「わたくしの考へ違ひで御座いました。まつたく玄徳の愚(おろか)が致した落度でございます。仰有る通り、玄徳もいつか、土民の中に貧窮してゐる為、心まで土民になりかけてをりました」
「分りましたか。劉備、そこへ気がつきましたか」
「御打擲(ごちやうちやく)をうけて、幼少の御訓言が、骨身から喚び起されて参りました。——大事な剣を失ひました事は、御先祖へも、申しわけありませんが……御安心下さいお母さん……劉備の魂はまだ此身(ここ)にございます」
——するとそれ迄(まで)、老の手が痺れるほど子を打つてゐた母の手は、やにはに劉備のからだを犇(ひし)と抱きしめて、
「おゝ!劉備や!……ではお前にも、一生土民で朽ち果てまいと思ふ気もちはおありかえ。まだ忘れないで、わたしの言葉を、魂のなかにお持ちかえ」
「なんで忘れませう。わたしが忘れても景帝の玄孫であるこの血液が忘れるわけはありません」
「よう云ひなすつた。……劉備よ。それを聞いて母は安心しました。ゆるしておくれ、……ゆるしておくれよ」
「何をなさるんです。わが子へ手をついたりして、勿体ない」
「いゝえ。心まで落魄(おちぶ)れ果てたかと、悲しみと怒りの餘り、お前を打擲したりして」
「御恩です。大愛です。今の御打擲は、わたくしに取つて、真の勇気を奮ひたゝせる神軍の鼓でございました。仏陀の杖でございました。——もしけふのお怒りを見せて下さらなければ、劉備は何を胸に考へてゐても、お母さんが世にあるうちはと、卑怯な土民を装つてゐたかも知れません。いゝえそのうちについ年月を過して、ほんとの土民になつて朽ちてしまつたかもしれません」
「——ではお前は、何を思つても、この母が心配するのを怖れて、母が生きてゐるうちはたゞ無事に暮してゐる事ばかり願つてゐたのだね。……ああ、さう聞けば、猶更(なほさら)わたしの方が済まない気がします」
「もう私も、肚がきまりました。——でなくても、今度の旅で、諸州の乱れやら、黄匪の惨害やら、地上の民の苦しみを、眼の痛むほど見て来たのです。おつ母さん、劉備が今の世に生れ出たのは、天上の諸帝から、何か使命を享(う)けて世に出たやうな気がされます」
彼が、真実の心を吐くと彼の母は、天地に黙禱をさゝげて、いつ迄も、両の腕(かひな)の中に額を埋めてゐた。
然(しか)し、この日の朝の事は、どこ迄も、母子(おやこ)ふたりだけの秘(ひそ)か事だつた。
劉備の家には、相変らず蓆機(むしろばた)を織る音が、何事もなげに、毎日、外へ洩れてゐた。
土民の手あきの者が、職人として雇はれて来て、日毎(ひごと)に中庭の作業場で、沓(くつ)を編み、蓆を荷造りして、それが溜ると、城内の市(いち)へ持つて行つて、穀物や布や、母の持薬などゝ交易して来た。
変つた事といへば、それくらゐなもので、家の東南(たつみ)にある高さ五丈餘の桑の大樹に、春は禽(とり)が歌ひ、秋は落葉して、いつかこゝに三、四年の星霜は過ぎた。
すると、浅春の一日(あるひ)。
白い山羊の背に、二箇の酒瓶(さかがめ)を乗せて、それを曳(ひ)いて来た旅の老人が、桑の下に立つて、独りで何やら感嘆してゐた。
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次回 → 桑の家(十)(2023年9月28日(木)18時配信)