第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 桑の家(六)
[補註]新聞連載版には「桑の家(七)」がなく、以下(九)(十)と続く
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「あツ。——何で?」
びつくりした劉備は、われを忘れて、母の手頸(てくび)を捉(とら)へたが、母の手から投げられた茶の壺は、小さい飛沫(しぶき)を見せて、もう河の底に沈んでゐた。
「おつ母さん!……おつ母さん!……一体、何がお気に障つたのですか。何で折角の茶を、河へ捨てておしまひになつたんですか」
劉備の声は、顫(ふる)へてゐた。母に欣(よろこ)ばれたいばかりに、百難の中を、生命がけで持つて来た茶であつた。
母は、歓びの餘りに、気が狂(ふ)れたのではあるまいか?
「……何を云ふのです。譟(さわ)がしい!」
母は、劉備の手を払つた。
そして亡父(ちち)のやうな顔をした。
「…………」
劉備は、きびしい母の眉に、思はず後へ退がつた。生れてから初めて、母にも怖い姿があることを知つた。
「劉備。お坐りなさい」
「……はい」
「お前が、わしを歓ばせるつもりで、遙々苦労して持つてお出(い)でた茶を、河へ捨てゝしもうた母の心がわかりますか」
「……わかりません。おつ母さん、劉備は愚鈍です。何処が悪い、何が気にいらぬと、叱つて下さい。仰有つて下さい」
「いゝえ!」
母は、つよく頭(かうべ)を振り、
「勘ちがひをおしでない。母は自分の気儘から叱るのではありません。——大事な剣を人手に渡すやうなお前を育てゝ来た事を、わたしは母として、御先祖にも、死んだお父さんにも、済まなく思うたからです」
「私が悪うございました」
「お黙りっ!……そんな簡単に聞かれては、母の叱言(こごと)がおまえに分つて居るとはいへません。——私が怒つてゐるのは、お前の心根がいつのまにやら萎(な)へしぼんで、楼桑村の水呑百姓に成りきつてしまうたかと——それが口惜(くやし)いのです。残念でならないのです」
母は、子を叱るために励ましてゐるわれとわが声に泣いてしまつて、袍の袖を、老(おい)の眼に当てた。
「……お忘れかへ、劉備。おまへのお父様も、お祖父様(ぢいさま)も、おまへのやうに沓(くつ)を作り蓆を織り、土民の中に埋もれたまゝお果てなされてはゐるけれど、もつともつと先の御先祖をたづねれば、漢の中山靖王劉勝の正しい血すじなのですよ。おまへは紛れもなく景帝の玄孫なのです。この支那をひと度(たび)は統一した帝王の血がおまへの体にながれてゐるのです。彼(あ)の剣は、その印綬と云ふてもよい物です」
「…………」
「だが、こんなことは、めつたに口に出す事ではない。なぜならば、今の後漢の帝室は、わたし達の御先祖を亡(ほろぼ)して立つた帝王だからです。景帝の玄孫とわかれば、とうに私たちの家すじは断ち絶(き)られて居るでせう。……だからというて、お前までが、土民になりきつてしまつてよいものか」
「…………」
「わたしは、そんな教育を、お前にした覚えはない。揺籃(ゆりかご)に入れて、子守唄をうたうて聞かせた頃から——又、この母が膝に抱いて眠らせた頃から——おまへの耳へ母は御先祖のお心を血の中へ訓(をし)へこんだつもりです。——時の来ぬうちはぜひもないが、時節が来たら、世のために、又、漢の正統を再興するために、剣を把(と)つて、草廬から起たねばならぬぞと」
「……はい」
「劉備。——その剣を人手に渡して、そなたは、生涯、蓆を織つてゐる気か。剣よりも茶を大事とお思ひか。……そんな性根の子が求めて来た茶などを、歓んで飲む母とお思ひか。……わたしは腹が立つ。わたしはそれが悲しい」
と、母は慟哭しながら、劉備の襟をつかまへて、嬰児(あかご)を懲(こら)すやうに折檻した。
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次回 → 桑の家(九)(2023年9月27日(水)18時配信)