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第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 小覇王(二)
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星の静かな夜であつた。
一軍の兵馬が、ひつそりと、水の流れるやうに、野を縫つてゆく。
哀々たる銅角(ドウカク)を吹き、羯鼓(カツコ)を打ち鳴らし、鉦板(シヤウバン)をたゝいて行く——葬送の音楽が悲しげに闇を流れた。兵馬みな黙し、野面を蕭々と風も哭(な)く。
一かたまりの松明(たいまつ)のひかりの中に新しい柩が守られてゐた。
ひらめく五色の弔旗も、みな黒く見えた。——柩の前後に従(つ)いてゆく諸将も、
「——噫(あゝ)」
と、時折、空を仰いだ。
これなん死せし孫策の遺骸をひそかに葬るものであると見て、その日、早くも探り知つた張英、陳横の二将は、突如〔のろし〕を打(うち)あげて、この葬列を不意(フイ)討(うち)した。
それまで——
草かと見えたものも、石か木かと見えたものもすべで喊(とき)の声をあはせて襲つて来た。
すでに、大きな支柱を亡(うしな)つた孫軍は、いかに狼狽するかと思ひのほか、
「来たぞ」
葬列は、忽ち、五行にわかれて整然たる陣容をつくり、
「張英、陳横を逃がすな」
といふ号令の声が高く聞えた。
張英は驚いて、
「あツ、敵には備へがあつたらしいぞ、立騒がぬところを見ると、何か、計があるやも知れぬ」
味方の軽はずみを戒めて戦つてゐたが、元より秣陵の城内をほとんど空にして出て来た小勢である。忽ち、撃退されて、
「もどれ/\。城中へひきあげろ」
と、争つて引つ返した。
すると途中の林の中から、
「孫策これにあり!秣陵の城はすでに、わが部隊の手に落ちてゐるのに、汝等は、どこへ帰る気かツ」
と、呼(よば)はりながら、騎馬武者ばかりおよそ四、五人、真つ黒に馳け出して来て、張英の行く手をふさいだ。
張英は、わが耳を疑ひながら、多寡の知れた敵蹴ちらして通れ——と下知しながら、はや血戦となつた中を馳けてゐたが、そのうちに、
「張英とは、汝かつ」
と、正面へ躍つて来た一騎の若武者がある。
見れば、過ぐる日、自分が城の矢倉から狙ひ撃ちして、見事、射止めたと信じてゐた孫策であつたので、
「やつ、死んだとは、偽(いつはり)であつたか」
仰天して逃げかけると、
「浅慮(あさはか)者(もの)ツ」
と、大喝して、孫策の馬は後(うしろ)から彼の馬の尻へ重なつた。
とたんに張英の胴は、黒血三丈を噴いて、首はどこかに飛んでゐた。
陳横も、討たれた。
元より孫策は、深く計つてゐた事なので、その儘(まゝ)、秣陵の城へ進むと、先に城中に押入つてゐた味方が、門を開いて、彼を迎へ入れた。
一同、勝鬨(かちどき)の声をあはせて、万歳を三唱した頃、長江の水は白々と明け放れ、鳳凰山、紫金山の嶺々(みね/\)に朝陽は映えてゐた。
孫策は、即日、法令を布いて、人民を安んじ、秣陵には、味方の一部をのこして、直(たゞち)に、涇(ケイ)県(安徽省・涇県)へ攻め入つた。
この頃から、彼の勇名は、一時に高くなつて、彼を呼ぶに、人々はみな、
江東の孫郎(ソンラウ)、
と、称(たゝ)へたり、又
小覇王、
と唱へて敬ひ畏れた。
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次回 → 日時計(一)(2024年8月14日(水)18時配信)