【前口上】
今回より14冊単行本の第4巻「大江の巻」となります。なお、この吉川三国志新聞連載版の配信は、新聞連載開始より丁度84年後の2023年8月25日から始まっています。無料版のSubstackは過去1年より前の記事は読めなくなりますので、今月25日以降、順次読めない配信分が出て来ます。
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第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 好敵手(三)
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曠(はれ)の陣頭で、晴々と、太史慈に笑ひかへされたので、年少な孫策は、
「よしツ今日こそ、きのふの勝負をつけてみせる」
と、馬を躍らしかけた。
「待ちたまへ」
と、腹心の程普は、あわてゝ彼の馬前に立ちふさがりながら、
「口(くち)賢(ざかし)い敵の舌先に釣りこまれたりなどして、軽々しく打つて出てはいけません。貴郎(あなた)の使命はもつと大きい筈でせう」
と、押し戻した。
そして逸(はや)りたつ孫策の馬の轡(くつわ)を、ほかの将に預けて、程普は、自分で太史慈に向つて行つた。
太史慈は、彼を見ると、対手(あひて)にもせず云ひ放つた。
「東莱の太史慈は、君の如き小輩を斬る太刀は持たない。わが馬に踏みつぶされぬうちに、疾(と)く逃げ返つて、孫策をこれへ出すがいい」
「やあ、大言なり、青二才」
程普は怒つて、まつしぐらに打つてかゝつた。
すると、戦(たたかひ)がまだ酣(たけなは)ともならないうちに、劉繇はにはかに陣鼓を打ち、引鐘を鳴らして退却を命じた。
「何が起つたのか」
と、太史慈も戟(ほこ)ををさめて、急に引(ひき)退(しりぞ)いたが、不平でならなかつた。
で、劉繇の顔を見ると、
「惜しいことをしました。けふこそ孫策を誘(おび)き寄せてと計つてゐたのに。——一体、何が起つたのですか」
と、詰(なじ)らずにゐられなかつた。
劉繇は、苦々しげに、
「それどころではない。本城を攻め取られてしまつたわ。——貴様たちが前の敵にばかり気をとられてをるからだ」
と、声ふるはせて云つた。
「えつ、本城が?」
太史慈も、愕(おどろ)いた。
——聞けば、いつのまにやら、敵は一部の兵力を分けて、曲阿へ向け、曲阿方面から劉繇の本城——零陵城のうしろを衝(つ)いてゐた。
その上に。
こゝにまた、廬江(ロカウ)松滋(シヨウジ)(安徽省・安慶)の人で、陳武(チンブ)、字(あざな)を子烈(シレツ)といふものがある。陳武と周瑜とは同郷なので、かねて通じてゐたものか、
(時こそ来れ!)
とばかりに江を渡つて、孫軍と合流し、共に劉繇の留守城を攻めたので、忽ち、そこは陥落してしまつたのであつた。
何にしても、かんじんな根拠地を失つたのであるから、劉繇の狼狽も無理ではない。
「この上は、秣陵(マツリヨウ)(江蘇省・南京の南方鳳凰山)まで引上げ、総軍一手となつて防ぐしかあるまい」
と、全軍一夜に野を払つて、秋風の如く奔(はし)り去つた。
ところが、奔り疲れて、その夜、露営してゐると又、孫策の兵が、にはかに夜討をかけて来て、さらぬだに四分五裂の残兵を、ここでも散々に打ちのめした。
敗走兵の一部は、薛礼(セツレイ)城へ逃げこんだ。そこを囲んでゐるまに、敵将劉繇が、小癪にも味方の牛渚の手薄を知つて攻めてきたと聞ゐたので、
「よしツ、袋の鼠だ」
と、孫策は、直に、駒をかへして、彼の側面を衝いた。
すると、敵の猛将干糜(カンビ)が、捨鉢(すてばち)にかゝつて来た。孫策は、干糜を手捕りにして、鞍のわきに引つ抱へて悠々と引上げて来た。
それを見て、劉繇の旗下、樊能(ハンノウ)といふ豪傑が、
「孫策、待てツ」
と、馬で追つて来た。
孫策は、振向きざま、
「これが欲しいか!」
と、抱へてゐた干糜の体を、ぎゆツと締めつけると、干糜の眼は飛び出してしまつた。そしてその死体を、樊能へ投げつけたので、樊能は馬からころげ落ちた。
「仲よく、冥途(あのよ)へ行け」
と、孫策は、馬上から槍をのばして、樊能を突(つき)殺し、干糜の胸板にも止(とど)めを与へて、さツさと味方の陣地へ入つてしまつた。
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次回 → 小覇王(二)(2024年8月12日(月)18時配信)
なお、日曜日については夕刊が休刊のため、配信はありません。