第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 神亭廟(二)
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鉄壁と信じてゐた防禦線の一の砦(とりで)が、わづか半日のまに破られたと聞いて、劉繇は、
「一体味方の勢は居たのか、居ないのか」
と愕然、色を失つた。
そこへ張英が、敗走の兵と共に、零陵(レイリヨウ)城へ逃げこんで来たから、彼の憤怒は猶更であつた。
「何の顔容(かんばせ)あつて、おめ/\生き返つてきたか。手討ちにして、衆人の見せしめにせん」
とまで息まいたが、諸臣のなだめに、張英は、漸(やうや)く一命を助けられた。
動揺は甚だしい。
そこで遽(にはか)に零陵城の守りをかため直し、劉繇みづから陣中に加はつて、神亭山の南に司令部をすゝめた。
孫策の兵四千餘も、その前日、神亭の山の北がはへ移動してゐた。
そこに駐軍してから数日後の事。孫策は土地の百姓の長をよんで訊ねてゐた。
「この山には、後漢(コウカン)の光武帝の御霊廟(みたまや)があるとか、かねて聞いてゐたが、今でもその廟はあるのかね」
「へい。御霊廟は残つてをりますが、誰も祭る者は御座いませぬので、いやもうひどく荒れてをりまする」
「嶺の上か。そこは」
「頂上よりは下つた中腹で、そこへ登りますると、潘陽湖(ハンヤウコ)(ママ)から揚子江のながれは目の下で、江南江北も一目に見わたされまする」
「明日、われをそこへ案内せい。自身参つて、廟を掃ひ、いさゝか心ばかりの祭をいたすであらう」
「かしこまりました」
里長(さとをさ)が帰つて行つた後で、張昭は、彼に諫めた。
「廟の祭をなさるのも結構ですが、戦終つた後でなされてもいゝでせう」
「いや、急に何か、詣でたくなつた。行かないと気がすまない」
「それは又、なぜですか」
「ゆうべ夢を見た」
「夢を?」
「光武帝がわが枕元に立たれて、招くかと思へば、松籟(シヨウライ)颯々(サツサツ)と、神亭の嶺に、虹のごとき光を曳いて、見えなくなつた」
「……でも今、山の南には、劉繇が本陣をすゝめております。途中もし伏勢にでもお遇(あ)ひ遊ばしたら」
「いや/\、われには神明の加護がある。神の招きに依つて、神の祭に詣づるのだ。何の怖れやあらう」
次の日。——約束の里長を案内者として、彼は騎馬で山道へ向つた。
随従の輩(ともがら)には、
程普、黄蓋、韓当、蔣欽(シヤウキン)、周泰(シウタイ)などの十三将がつゞいた。各々槍をさげ戟を横たへ、追々(おひ/\)と登りつめて行くほどに、十方の視野はひらけ、雲から雲まで、続く大陸を、長江千里の水は、初めもなく果(はて)もなく、たゞ蜿蜒(エンエン)と悠久な姿を見せてゐる。
それは又、沿岸いたる所にある無数の湖や沼と何処かでつながつてゐた。黄土の大陸の十分の一は巨大な水溜りばかりだつた。——その又土壌の何億分の一ぐらゐな割合に、鳥の糞をこぼしたやうな部落があつた。それの少し多く集まつてゐるのが町である。城内である。
「オヽ、此処か」
廟を仰ぐと、人々は馬を降り、辺りの落葉を掃つて、供へ物を捧げた。
孫策は、香を焚いて、廟前にぬかづくと、詞を以(もつ)て、かう祈念した。
「尊神よ。願はくば、わたくしに亡父の遺業を継がせて下さい。不日、江東の地を平定いたしましたら、かならず御廟を再興して、四時怠らず祭をしませう」
そして、そこを去ると、彼は、嶺の道を、元の方へは戻らずに、南へ向つて降りて行かうとするので諸将は驚きあわてゝ、
「ちがひます。道がちがふ。さう参つては、敵地へ降りてしまひますぞ」
と、注意した。
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次回 → 好敵手(一)(2024年8月7日(水)18時配信)