第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 大江の魚(四)
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牛渚(ギウチヨ)(安徽省)は揚子江に接して後(うしろ)には山岳を負ひ、長江の鉄門といはれる要害の地だつた。
「——孫堅の子孫策が、南下して攻めて来る!」
と、聞え渡ると、劉繇は評議をひらいて、さつそく牛渚の砦(とりで)へ、兵糧何十万石を送りつけ、同時に、張英(チヤウエイ)といふ大将に大軍を授けて防備に当らせようとした。
その折、評議の末席にゐた太史慈(タイシジ)は、進んで、
「どうか、自分を先鋒にやつて下さい。不肖ながら必ず敵を撃破して見せます」
と、希望したが、劉繇はじろりと、一眄(イチベン)したのみで、
「そちにはまだ資格はない」
と、一言の下に退けた。
太史慈は顔を赧(あか)らめて沈黙した。彼はまだ三十歳になつたばかりの若年だし、劉繇に仕へてから年月も浅い新参でもあつたりするので、
「さし出がましい者」
といふ眼で大勢に見られたのを恥ぢたやうな態であつた。
張英は、牛渚の要塞にたてこもると、邸閣(テイカク)とよぶ所に兵糧を蓄へて、悠々と、孫策の軍勢を待ちかまへてゐた。
それより前に、孫策は、兵船数十艘をとゝのへて、長江に泛(う)かみ出て、舳艫(ジクロ)をつらねて遡江して来た。
「オヽ、牛渚だ」
「物々(もの/\)しい敵の備へ」
「矢風に怯(ひる)むな。——あの岸へ一せいに襲(よ)せろ」
孫策を初め、子衡、周瑜などの将は、各々、わが船楼のうへに上つて、指揮しはじめた。
陸地から飛んで来る矢は、まるで陽(ひ)も晦(くら)くなるくらゐだつた。
舷(ゲン)を搏(う)つ白浪(ハクラウ)。
岸へせまる鬨(とき)の声。
「つゞけや、我に」
とばかり早くも孫策は、舳(へさき)から陸地へ跳び降りて、むらがる敵のうちへ斬つて入る。
「御曹司を討たすな」
と、他の船からも、続々と、将兵が降りた。又、馬匹が上げられた。
味方の死骸をこえて、一尺を占め、又死骸をふみこえて、十間の地を占め——さうして次第に全軍は上陸した。
中でも、その日、目ざましい働きをしたのは孫策軍のうちの黄蓋だつた。
彼は、敵将張英を見つけて、
「ござんなれ」
と、奔馬をよせて斬りかけた。
張英も豪の者、
「なにを」
と、喚(をめ)きあつて、力戦したが、黄蓋にはかなはなかつた。馬をめぐらして急に味方の中へ逃げこむと総軍、堤の切れたやうに敗走し出した。
ところが。
牛渚の要塞へと逃げて来ると、城門の内部や兵糧庫のあたりから、いちめんの黒煙(くろけむり)があがつてゐた。
「や、や、何事だ」
張英が、うろたへてゐると、要塞の内から、味方の兵が、
「裏切者だつ」
「裏切者が火を放つた」
と、口々にさけびながら煙と共に吐き出されて来た。
火焰(クワエン)はもう城壁の高さを越えてゐた。
張英は、逃げまどふ兵をひいて、ぜひなく山岳の方へ走つた。——振りかへれば、勢に乗つた孫策の軍は、おそろしい迅(はや)さで追撃して来る。
「いつたい何者が裏切りしたのか。いつの間に、孫策の手が味方の内へまはつてゐたのだらうか?」
山深く逃げこんだ張英は、兵をまとめて一息つくと共に、何か、魔に襲はれたやうな疑ひにつゝまれて、敗戦の原因を考へこんでゐた。
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次回 → 神亭廟(二)(2024年8月5日(月)18時配信)
なお、日曜日については夕刊が休刊のため、配信はありません。