第一回 → 黄巾賊(一)
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「この玉璽を質(シチ)として御手にあづけておきますから、願ひの儀を、どうかお聞き届けくださいまし」
孫策が云ふと袁術は、
「何。玉璽をわしの手に預けたいと?」
待つてゐたと云はぬばかりな口吻(くちぶり)で快諾した。
「よいとも、よいとも、兵三千に、馬五百匹を貸し与へよう。……それに、官爵の職権もなくては、兵を下知するに、威が届くまい」
袁術は、多年の野望がかなつたので、孫策に、校尉の職を与へ、又、殄寇(チンコウ)将軍の称をゆるした上、武器馬具など、総(すべ)て整へてくれた。
孫策は、勇躍して、即日、勢を揃へて出立した。
従ふ面々には、先の君理、子衡をはじめとして、父の代から仕へて、流浪中も彼のそばを離れずにきた程普、黄蓋、韓当などの頼もしい者もゐた。
暦陽(江西省)のあたりまで来ると、彼方から一面の若武者が来て、
「おつ、孫君」
と、馬を下りて呼んだ。
見れば、姿風(シフウ)秀麗、面は美玉のごとく、年頃も孫策と同じぐらゐな青年だつた。
「やあ、周君か。どうしてこゝへ来たか」
なつかし気に孫策も馬を下りて、手を握り合つた。
彼は廬江(安徽省)の生れで、周瑜(シウユ)字(あざな)を公瑾(コウキン)といひ、孫策とは少年時代からの竹馬の友だつたが、その快挙を聞いて、共に助けんと、こゝまで急いで来たのだと語つた。
「持つべきものは友だ。よく来てくれた。どうか一臂(イツピ)の力をかしてくれ給へ」
「元より君の為(ため)なら犬馬の労もいとはないよ」
ふたりは駒を並べて進みながら睦(むつ)まじさうに語らつた。
「時に君は、江東の二賢を知つてゐるか」
周瑜のことばに、
「江東の二賢とは?」
「野(ヤ)に隠れてゐる二人の賢人さ。ひとりは張昭(チヤウセウ)といひ、ひとりは張紘(チヤウクワウ)といふ。だから江東の二張とも称(よ)ばれてゐる」
「そんな人物がゐるのか」
「ぜひ二賢を招いて、幕僚に加へ給へ。張昭は、よく群書を覧(み)て、天文地理の学問に明(あきら)かなんだし、又張紘のはうは、才智縦横、諸経(シヨケイ)に通じ、説を吐けば、江東江南の百家といへど彼の右に出る者はない」
「どうしたらそんな賢人を招けるだらうか」
「権力をもつて臨んでも〔だめ〕だし、財物を山と運んでも動くまい、人生意気に感ず——といふ事があるから、君自身が行つて、礼を尽し、深く敬つて、君の抱懐してゐる真実を告げるんだね。……そしたら事によると、起つかも知れない」
孫策は、よろこんで、やがてその地方に至ると、自身、張昭の住んでゐる田舎を訪れ、その隠棲の閑居をたづねた。
彼の熱心は、遂に張昭をうごかした。
「どうか、若年の私を叱つて、父の讐(かたき)を報じさせて下さい」
その言葉が、容易に出ない隠士張昭を起たせたのである。
又。その張昭と周瑜を使(つかひ)として、もう一名の張紘をも説かせた。
彼の陣中には、望みどほりの二賢人が、左右の翼となつて加はつた。
張昭を、長史中郎将と敬ふ、張紘を参謀正義校尉と称へて、いよいよ一軍の儀容は整つた。
却説(さて)、そこで。
孫策が、第一の敵として、狙ひをつけたのは叔父(をぢ)呉景を苦しめた楊州の刺史劉繇である。
劉繇は、揚子江岸の豪族であり、名家である。
血は漢室のながれを汲み、兗州の刺史劉岱は、彼の兄にあたる者だし、太尉劉寵(リウチヨウ)は、伯父(をぢ)である。
そして今、大江の流れに臨む寿春(江西省・九江)にあつて、その部下には、雄将が多かつた。——それを正面の敵とする孫策の業もまた難い哉(かな)といはなければならない。
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次回 → 神亭廟(一)(2024年8月3日(土)18時配信)