第一回 → 黄巾賊(一)
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翌日。呂布の使(つかひ)は、広陵(江蘇省・揚州)へ立つた。
玄徳は、その後、わづかな腹心と共に、広陵の山寺にかくれてゐた。
乱世の慣(なら)ひとはいへ、一歩踏み外すと、その顚落(テンラク)は実に早い。三日大名、一夜乞食といふ事は当時の興亡浮沈に漂はされてゐた無数の英雄門閥の諸侯にそのまゝ当て嵌(はま)つてゐる言葉だつた。
玄徳といへども、その風雲の外(ほか)にはゐられなかつた。あれから袁一門の武賊から交々(こも/゛\)奇襲をうけて、敗亡又敗亡の非運をつゞけてゐた。——食糧と財がなければ、兵はみな馬や武器を盗んで
「今が見(み)限(き)り時」
と、ばかり、陣を脱して逃亡してしまふのも、当り前のやうにしてゐる彼等の乱世生活であつた。
山深く、廃寺の奥に潜んで、玄徳が身辺を見まはした時は関羽、張飛、その十数名の直臣と、数十騎の兵しか残つてゐなかつた。
そこへ、呂布の使(つかひ)が来た。
「又、何か詐(いつ)はりを構へて来たのだな」
関羽は、その内容の如何を問はず反対した。張飛も亦(また)
「家兄、行つてはなりませんぞ」
と、止めた。
「否(いな)とよ」
が、玄徳は、彼等をなだめて、呂布の招きに応じようとした。その理由は
「すでに、彼も善心を起して、自分へ情を寄せてきたのだ。人の美徳を辱しめるのは、人間の良心へ唾(つば)することにならう。この暗澹(アンタン)たる濁世にも、猶(なほ)、人間の社会が獣にまで堕落しないのは、天性いかなる人間にも、一片の良心は持つて生れて来てゐるからである。——だから人の良心と美徳は尊ばねばならぬ」
と、云ふのであつた。
張飛は、蔭で舌打(したうち)した。
「すこし兄貴は孔子にかぶれて居る。武将と孔子とは、天職がちがふ。——関羽、貴様もよくないぜ」
「なぜ俺が悪い?」
「閑(ひま)があると、おぬしは自分の趣味で、兄貴へ学問のはなしをしたり、書物を薦めたりするからいけないんだ。——何しろおぬしも根は童学草舎の先生だからな」
「ばかをいへ、ぢやあ、武ばかりで文がなかつたら、どんな人物ができると思ふ。こゝにゐる漢(をとこ)みたいな人間が出来はせんか」
と関羽は指で張飛の鼻をそつと突いた。張飛は、〔ぐつ〕と詰つて、鼻を凹(へこ)ましてしまつた。
日を改めて、玄徳は、徐州の境まで赴(おもむ)いた。
呂布は、玄徳の疑ひを解くために、まづ途中まで彼の母堂、夫人などの家族を送つて対面させた。
玄徳は、母と妻とを、両の手に迎へ入れ、わが子に纏(まつ)はられながら、
「オヽ、有難いことよ」
と、皆の無事を、天に謝した。
夫人の甘氏糜氏は、
「呂布は、わたし達の門を守らせて、時折、物を贈つて、よく見舞つてくれました」
と、告げた。
やがて又、呂布自身、玄徳を城門に出迎へて、
「自分は決して、この国を奪ふたのではない。城内に私闘が起つて、自壊の兆(きざし)がみえたから、未然に防いで、暫時守備の任に当つてゐた迄(まで)である」
と、云ひ訳(わけ)した。
「いや、私は初めから、この徐州は、将軍に譲らうと思つてゐた位(くらゐ)ですから、むしろ適当な城主を得たと欣(よろこ)んでゐる程です。どうか、国を隆盛にし、民を愛して下さい」
呂布は、心とは反対に、再三辞退したが玄徳は、彼の野望を満足さすべく、身を退いて、小沛の田舎城(ゐなかじろ)にひき籠つてしまつた。そして頻(しき)りと憤慨する左右の者をなだめて、かう云つた。
「身を屈して、分を守り、天の時を待つ。——蛟龍(カウリウ)の淵(ふち)にひそむは昇らんが為(ため)である」
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次回 → 大江の魚(一)(2024年7月30日(火)18時配信)