第一回 → 黄巾賊(一)
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勿論、呂布はよろこんで袁術から申し出た密盟に応じた。
すぐ、部下の高順に、三万の兵をさづけて、
「玄徳の後ろを襲え」と、盱眙(ウイ)へ急がせた。
盱眙の陣にあつた玄徳は、早くもその情報を耳にして、
「如何にしたものか」
を、幕僚に謀つた。
張飛、関羽は口をそろへて、
「たとへ前後に敵をうけて、不利な地に立つとも、紀霊、高順の徒、何程の事かあらん」
と、悲壮な臍(ほぞ)をかためて、乾坤一擲の決戦を促したが、玄徳は
「いや、いや。こゝは熟慮すべき大事なところだらう。どうも此度の出陣は、何かと物事が順調でなかつた。運命の波長が逆に逆にとぶつかつてくる。思ふに今、玄徳の運命は順風に扶けられず、逆浪にもてあそばれる象(かたち9である。——天命に従順にならう。強(し)いて破船を風浪へ向けて自滅を急ぐは愚である」
と、説いて、自重することを主張した。
「わが君に戦意がないものを、何(ど)うしようもあるまい」
と、他の幕将たちは、張飛や関羽をなだめて、評議は、逃げ落ちることに一決した。
大雨の夜だつた。
淮陰の河口は大水があふれて、紀霊軍も追撃することはできなかつた。その暴風雨(あらし)の闇にまぎれて、玄徳は、盱眙の陣をひきはらひ、広陵の地方へ落ちて行つた。
高順の三万騎が、こゝへ着いたのは翌(あく)る日だつた。見れば、草はみな風雨に伏し、木は折れ、河は溢(あふ)れて、人馬の影はおろか、陣地の跡に一塊の馬糞もなかつた。
「敵は、高順の名を聞ゐただけで逃げ落ちてしまつたぞ、何と笑止なことではないか」
高順は早速、紀霊の陣へ出向いて、紀霊と会見の後で、
「約束のごとく、玄徳の軍を追ひ落したから、ついては、条件の金銀粮米、馬匹、絹布などの品々を頂戴したい」
と、申し出た。
すると紀霊は、
「やあ、それは主人袁術と、御辺の主君呂布との間で結ばれた条件であらうが、此方はまだ聞いてゐない。又聞いてゐたところで、そんな多額な財貨を、それがし一存でどうしようもない。いづれ帰国の上、主人袁術へ申しあげておくから、尊公も一(ひと)先(ま)づお帰りあつて、何分(なにぶん)の返答をお待ちあるがよからう」
と、答へた。
無理もない話なので、高順は、徐州へ立(たち)帰(かへ)つて、そのとほりに呂布へ復命しておいた。
ところが、その後、袁術から来た書簡をひらいて見ると、
玄徳、今、広陵にひそむ、
速(すみやか)に彼が首級を挙げ、
先に約せる財宝を購(あがな)へ。
価(あたひ)を払はずして、
何ぞ、求むるのみを知る乎(か)。
「何たる無礼な奴だらう。おれを臣下とでも思つてゐるのか、自分の方から提示した条件なのに、欲しければ、玄徳の首を値に持つて来いと、人を釣るやうなこの文言は何事か」
呂布は、忿怒(フンド)した。
われを欺いた罪を鳴らし、兵を向けて、袁術を打(うち)破(やぶ)らんとまで云ひ出した。
例に依つて、彼の怒りをなだめる役は、いつも陳宮であつた。
「袁一門には、袁紹といふ大物がゐることを忘れてはいけません。袁術とても、あの寿春城に拠つて、今河南第一の勢ひです。——それよりは、落ちた玄徳を招いて、巧(たくみ)に用ひ、玄徳を小沛の県城に住まはせて、時節を窺(うかゞ)ふことです。——時到らば兵を起し、玄徳を先手とし、袁術を破り、次いで、袁閥の長者たる袁紹をも亡ぼしてしまふのです。さもあれば天下の事、もう半ばは、あなたの掌に在るではありませんか」
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次回 → 母と妻と友(五)(2024年7月29日(月)18時配信)
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