第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 禁酒砕杯の約(二)
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今、河南の地、南陽にあつて、勢ひ日増しに盛大な袁術は、曽(かつ)て、この地方に黄巾賊の大乱が蜂起した折の軍司令官、袁紹の従兄弟(いとこ)にあたり、名門袁一族中では、最も豪放粗剛なので、閥族のうちでも恐れられてゐた。
「許都の曹操から急使が参りました」
「書面か」
「はつ」
「使者を犒(ねぎら)つてやれ」
「はつ」
「書面をこれへ」
袁術は、披(ひら)いて見てゐたが、
「近習の者」
「はい」
「即時、城中の紫水閣(シスヰカク)へ、諸将に集まれと伝へろ」
袁術は、気色(ケシキ)を変えてゐた。
城内の武臣文官は、
「何事やらん?」
と、ばかりに、愴惶(サウコウ)として、閣に詰め合つた。
袁術は、曹操からきた書面を、一名の近習に読み上げさせた。
劉玄徳、天子に奏し
年来の野望を遂げんと
南陽侵略の許(ゆるし)を朝に請ふ
君と余とは
又、年来の心友
何ぞ黙視し得ん
ひそかに、急を告ぐ
乞ふ
油断あるなかれ
「聴かれたか。一同」
と、次に袁術は声を大にし、面に朱をそゝいで罵つた。
「玄徳とは何者だつ。つい数年前まで、履(くつ)を編み蓆(むしろ)を売つてゐた匹夫ではないか。先頃、猥(みだ)りに徐州を領して、私に太守と名のり、諸侯と列を同じうするさへ奇怪至極と思うてゐたに、今又、身の程も辨(わきま)へず、この南陽を攻めんと企てをるとか。——天下の見せしめに、すぐ兵を向けて踏みつぶしてしまへ」
令が下ると、
「行けや、徐州へ」
と、十万餘騎は、その日に南陽の地を立つた。
大将は、紀霊(キレイ)将軍だつた。
一方、南下して来た玄徳の軍も、道を急いで来たので、両軍は臨淮(リンワイ)郡の盱眙(ウイ)(安徽省・臨淮県東方)といふところで、果然、衝突した。
紀霊は、山東の人で、力(ちから)衆(シウ)にすぐれ、三尖の大刀をよく使ふので勇名がある。
「匹夫玄徳、何とて、わが大国を侵すか。身の程を辨(わきま)へよ」
と、陣頭へ出て呼ばはると、
「勅命、わが上にあり。汝等、好んで逆賊の名を求めるか」
と、玄徳も云ひ返した。
紀霊の配下に荀正(ジユンセイ)といふ部将がある。馬を駆つて、躍り出し、
「玄徳が首(かうべ)、わが手にあり」
と、喚(わめ)きかゝつた。
横合から、関羽が、
「うぬつ、わが君へ近づいたら眼が眩(くら)むぞ」
と、八十二斤の青龍刀を舞はして遮つた。
「下郎つ、退けつ」
「汝ごときを、対手(あひて)になされるわが君ではない。いざ来い」
「何を」
荀正は、関羽につりこまれて、つい玄徳を逃がしてしまつたばかりでなく、勇奮猛闘、汗みどろにかゝつても、遂に、関羽へ掠(かす)り傷一つ負はせることができなかつた。
戦ひ/\浅い河の中ほどまで二騎は縺(もつ)れ合つて来た。関羽は、面倒くさくなつたやうに、
「うおうーツ」
と獅子吼(シシク)一番して、青龍刀を高く振りかぶると、ざぶんと、水しぶき血しぶき一つの中に、荀正を真二つに斬り捨てゝゐた。
荀正が討たれ、紀霊も追はれて、南陽の全軍は潰走しだした。淮陰(ワイイン)のあたりまで退(ひ)いて、陣容を立て直したが、玄徳侮り難しと思つたか、それから矢戦にのみ日を送つて、遽(にはか)に、押して来る様子も見えない。
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次回 → 禁酒砕杯の約(四)(2024年7月20日(土)18時配信)