第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 両虎(りやうこ)競食(きやうしよく)の計(三)
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張飛は、不平で堪(たま)らなかつた。——呂布が帰るに際して、玄徳が自身、城門外まで送りに出た姿を見かけたので、猶(なほ)さらの事
「御ていねいにも程がある」
と、業腹が煮えて来たのであつた。
「家兄。お人よしも、度が過(すぎ)ると、馬鹿の代名詞になりますぞ」
その戻るところを摑まへて、張飛は、さつき貰つた叱言(こごと)へ熨斗(のし)をつけて云ひ返した。
「ほう、張飛か。何をいつまで怒つてゐるのか」
「何をツて、あまりと云へば、歯がゆくて、馬鹿々々しくて、腹を立てる張(はり)あひもない」
「ならば、そちの云ふ通り、呂布を殺したら何の益がある」
「後の患(うれひ)を断つ」
「それは、目先の考へといふものだ。——曹操の欲するところは、呂布と我とが血みどろの争ひをするにある。両雄並び立たず——といふ陳腐な計(はかり)ごとを仕掛けて来たのぢや。それくらゐな事がわからぬか」
側にゐた関羽が
「ああ。御明察……」
と、手を打つて賞(ほ)めてしまつたので、張飛は又も云ひ返すことばに窮してしまつた。
玄徳は又、その翌る日、勅使の泊つてゐる駅館へ答礼に出向いて
「呂布についての御内命は、事(こと)遽(には)かには参りかねます。いづれ機を図つて、命を果(はた)す日もありませうが、今暫くは」
と、仔細は書面にしたゝめて、謝恩の表と共に、使者へ託した。
使者は、許都へ帰つた。そして有(あり)のまゝ復命した。
曹操は荀彧をよんで
「どうしたものだらう。さすがは劉玄徳、うまくかはして、そちの策には懸からぬが」
「では、第二段の計を巡らしてごらんなさい」
「どうするのか」
「袁術へ、使いを馳(はせ)て、かう云はせます。——玄徳、近ごろ天子に奏請して、南陽を攻め取らんと願ひ出てゐると」
「むム」
「又、一方、玄徳が方へも、再度の勅使を立て——袁術、朝廷に対して、違勅の科(とが)あり、早々(サウ/\)、兵を向けて南陽を討つべしと、詔を以て、命じます。正直真つ法の玄徳、天子の命とあつては、違背することはできますまい」
「そして?」
「豹(ヘウ)へ向つて、虎を〔けし〕かけ、虎の穴を留守とさせます。——留守の餌を窺(うかゞ)ふ狼が何者か、すぐお察しがつきませう」
「呂布か!なるほど、あの漢(をとこ)には狼性がある」
「駆虎呑狼(クコドンラウ)の計です」
「この計は外れまい」
「十中九までが大丈夫です。——なぜならば、玄徳の性質の弱点を衝(つ)いてをりますからな」
「うム。……天子の御命を以(もつ)てすれば、身うごきのつかない漢(をとこ)だ。さつそく運ぶがいゝ」
南陽へ、急使が飛んだ。
一方、それよりも急速に、二度目の勅使が、徐州城へ勅命をもたらした。玄徳は、城を出て迎へ、詔を拝して、後に、諸臣に諮つた。
「又、曹操の策略です。決してその手に乗つてはいけません」
糜竺は、諫めた。
玄徳は沈湎(チンメン)と考へこんでゐたが、やがて面を上げると
「いや、たとへ計(はかり)ごとであつても、勅命とあつては、違背はならぬ。すぐ南陽へ進軍しよう」
弱点か。美点か。
果(はた)して彼は、敵にも見抜かれてゐた通り、勅の一語に、身うごきがつかなかつた。
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次回 → 禁酒砕杯の約(二)(2024年7月18日(木)18時配信)