第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 火星と金星(五)
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楊奉の部下が
「徐晃が今、自分の幕舎へ、敵方の者をひき入れて何か密談してゐます」
と、彼の耳へ密告した。
楊奉は、忽ち疑つて
「引つ捕へて糺(たゞ)せ」
と、数十騎を向けて、徐晃の幕舎をつゝみかけた。すると、曹操の伏勢が起つて、それを追ひ退け、満寵は徐晃を救ひだして、共に、曹操の陣へ逃げて来た。
曹操は、望みどほり徐晃を味方に得て
「近来、第一の歓びだ」
と、云つた。
士を愛する事、女を愛する以上であつた曹操が、いかに徐晃を優遇したか云ふまでもなからう。
楊奉、韓暹のふたりは、奇襲を試みたが、徐晃は敵方へ走つてしまつたし、所詮、勝目(かちめ)はないと見たので、南陽(ナンヤウ)(河南省)へと落ちのび、そこの袁術を頼つて行つた。
——かくて、帝の御車と、曹操の軍は、やがて許昌の都門へ着いた。
こゝには、旧(ふる)い宮門殿閣があるし、城下の町々も備はつてゐる。曹操はまづ、宮中を定め、宗廟を造営し、司院(シヰン)官衙(クワンガ)を建て増して、許都の面目を一新した。
同時に、
旧臣十三人を列侯に封じ、自身は
大将軍(タイシヤウグン)武平侯(ブヘイコウ)
といふ重職に坐つた。
また董昭は——前(さき)に、帝の勅使として来て曹操にその人品を認められてゐた彼(か)の董昭公仁は——この際一躍、洛陽の令に登用された。
許都の令には、功に依つて、満寵が抜擢された。
荀彧は、侍中尚書令。
荀攸は軍師に。
郭嘉は、司馬祭酒に。
劉曄は、司空曹(シコウサウ)掾(じよう)に。
催督(サイトク)は、銭量使(センリヨウシ)に。
夏侯惇、夏侯淵、曹仁、曹洪など直臣中の直臣は、それ/゛\将軍にのぼり、楽進、李典、徐晃などの勇将はみな校尉に叙せられ、許褚、典韋は都尉に挙げられた。
多士済々、曹操の権威は、自(おのづか)ら八荒(ハツクワウ)に振(ふる)つた。
彼の出入には、常に、鉄甲の精兵三百が、弓箭(キウセン)戟光(ゲキクワウ)を燦(きら)めかせて流れた。——それにひきかへて、故老の朝臣は、名のみ大臣とか元老とかいはれても、日ましに影は薄れて行つた。
又、それらの人々も、今はまつたく曹操の羽振りに慴伏(セフフク)して、いかなる政事も、まづ曹操に告げてから、後に、天子へ奏するといふ風に慣(なら)はされて来た。
「嗟乎(あゝ)。——一人除けば又一人が興る。漢家の御運もはや西に入る陽(ひ)か」
嘆く者も、それを声には出さないのである。——たゞ無力なにぶい瞳のうちに哭(な)いて、木像のごとく帝側に佇立(チヨリツ)してゐるだけだつた。
× × ×
軍師、謀士。
そのほか、錚々たる幕僚の将たちが、痛烈に会飲してゐた。
真ン中に、曹操がゐた。面上、虹のごとき気宇を立つて、大いに天下を談じてゐたが、偶々(たま/\)、劉備玄徳のうはさが出た。
「あれも、いつのまにか、徐州の太守と成りすましてヰるが、聞く所によると、呂布を小沛に置いて扶持(フチ)してゐるさうだ。——呂布の勇と、玄徳の器量が、結びついてゐるのは、ちと将来の憂ひかと思ふ。もし両人が一致して、力を此方(こつち)へ集中して来ると、今でもちとうるさい事になる。——何か、未然にそれを防止する策はないか」
曹操が云ふと
「いと易い事。それがしに精兵五万をおさづけ下さい。呂布の首と、玄徳の首を、鞍の両側に吊るし帰つて来ます」
と、許褚が云つた。
すると、誰か笑つた。
「はゝゝゝゝ。酒瓶(さかがめ)ではあるまいし……」
荀彧である。
笑つた唇へ、酒を運びながら、謀士らしい細い眼の隅から、許褚をながめて云つたのである。
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次回 → 両虎(りやうこ)競食(きやうしよく)の計(二)(2024年7月15日(月)18時配信)
なお、日曜日については夕刊が休刊のため、配信はありません。