第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 火星と金星(二)
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「お尋ねにあづかつて恥ぢ入ります」と、勅使董昭(トウセウ)は、言葉(ことば)少(すくな)に、曹操へ答へた。
「三十年があひだ、徒(いたづ)らに恩禄をいたゞくのみで、何の功もない人間です」
「今の官職は」
「正議郎(セイギラウ)を勤めてをります」
「お故郷(くに)は」
「済陰(サイイン)定陶(テイタウ)(山東省)の生れで董昭字(あざな)は公仁(コウジン)と申します」
「ホ。やはり山東の産か」
「以前は、袁紹の従事として仕へてゐましたが、天子の御還幸を聞いて、洛陽へ馳せのぼり、菲才(ヒサイ)をもつて、朝に出仕いたしてをります」
「いや、不躾(ぶしつけ)なことを、つい根掘り葉掘り。おゆるしあれ」
曹操は、酒宴をまうけ、その席へ、荀彧を呼んで、共に時局を談じてゐた。
ところへ。——昨夜来、朝廷の親衛軍と称する兵が関外から地方へさして、続々と南下して行くといふ報告が入つた。
曹操は聞くと、
「何者が勝手に禁門の兵を他へ移動させたか。すぐその指揮者を生(いけ)擒(ど)つて来い」
と、兵を遣(や)らうとした。
董昭は、止めて、
「それは不平組の楊奉と、白波帥(ハクハスヰ)の山賊あがりの韓暹と、二人が諜(しめ)し合せて、大梁へ落ちて行つたものです。——将軍の威望をそねむ鼠輩(ソハイ)の盲動。何ほどの事を仕(し)出(で)来(か)しませうや。お心を労(つひ)やす迄(まで)のことはありますまい」
と、云つた。
「然(しか)し、李傕や郭汜の徒も、地方に落ちてをるが」
曹操が、重ねていふと、董昭はほほ笑んで、
「それも憂へるには足りません。一幹の梢(こずゑ)を振ひ落された片々の枯葉、機(をり)をみて掃き寄せ、一(イツ)炬(キヨ)の火として焚(た)いてしまへばよろしいかと思ひます。——それよりも、将軍の為すべき急務は他にありませう」
「オヽ、それこそ、余が訊きたいと希(ねが)ふことだ。乞ふ。忠言を聞かせ給へ」
「将軍の大功は天子もみそなはし、庶民もよく知るところですが、朝廟の旧殻には、依然、伝統や閥や官僚の小心なる者が、各々異(ちが)つた眼、異つた心で将軍を注視してゐます。それに、洛陽の地も、政(まつり)を革(あらた)めるに適しません。よろしく天子の府を許昌(キヨシヤウ)(河南省・許省)へお遷しあつて、すべての部門に潑剌(ハツラツ)たる革新を断行なさるべきではないかと考へられます」
耳を傾けてゐた曹操は、
「近頃含蓄のある教へを承(うけたま)はつた。この後も、何かと指示を与へられよ。曹操も業を遂げたあかつきには必ず厚くお酬(むく)いするであらう」
と、その日は別れた。
その夜又、客があつて、曹操にかういふ言をなす者があると告げた。
「このほど、侍中(ジチウ)太史令(タイシレイ)の王立(ワウリツ)といふ者が、天文を観るに、昨年から太白星(タイハクセイ)が天の河をつらぬき、熒星(ケイセイ)の運行もそれへ向つて、両星が出合はうとしてゐる。かくの如きは千年に一度か二度の現象で、金火の両星が交会すれば、きつと新しい天子が出現するといはれてゐる。——思ふに、大漢の帝系も将(まさ)に終らんとする気運ではあるまいか。そして新しい天子が晋(シン)魏(ギ)の地方に興る兆(きざし)ではあるまいか。——と王立は、そんな豫言をしてをりました」
曹操は黙つて、客のことばを聞いてゐたが、客が帰ると、荀彧をつれて、楼へ上つて行つた。
「荀彧。かう天を眺めてゐても、わしに天文は解らんが、さつきの客のはなしは、何(ど)ういふものだらう」
「天の声かも知れません。漢室は元来、火性の家です。あなたは土命(ドメイ)です。許昌の方位は、将(まさ)に土性の地ですから、許昌を都としたら、曹家は隆々と栄えるにちがひありません」
「む、さうか。……荀彧。王立といふ者へ早速使(つかひ)をやつて、天文の説は、人に云ふなと、口止めしておけ。よろしいか」
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[補註]新聞連載版では李傕を李確、郭汜を郭氾、荀彧を荀惑に作っています。また韓暹であろう箇所を李暹に作るのも前回同様です(前回配信註記参照)。
この配信では誤字と思われるものも、そのまま記載することを基本方針としていますが、この誤記については、李確を李傕、郭氾を郭汜、、荀惑を荀彧に、李暹を韓暹に修正しています。
次回 → 火星と金星(四)(2024年7月11日(木)18時配信)