第一回 → 黄巾賊(一)
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「いや、敵ではあるまい。お鎮(しづ)まりあれ」
と、夏侯惇はすぐ馬を駆つて、鞍の上から遙(はるか)へ手をかざしてゐたが、やがて戻つて来ると、一同へ告げた。
「案のごとく、唯(たゞ)今、東方から続々と影を見せて来た軍勢は、敵にはあらで、曹将軍の御弟曹洪を大将とし、李典、楽進を副将として、先陣の後(うしろ)備へとして参つた歩兵(かち)勢(ぜい)三万にござります」
帝は、いやが上にも、歓ばれて、
「又も、味方の勢か」
と、一度に御心を安んじて、かへつて、〔がつかり〕なされた程だつた。
間もなく、曹洪の歩兵(かち)勢も、着陣の鐘を鳴らし、万歳の声のうちに、大将曹洪は、聖駕(セイガ)の前へ進んで礼を施した。
帝は、曹洪を見て、
「御身の兄曹操こそ、真に、朕が社稷の臣である」
と云はれた。
都落ちの儚(はかな)い轍(わだち)を地に描いて来た御車は、一躍、八万の精兵に擁せられて、その轍の跡(みち)をすぐ洛陽へ引つ返して行つた。
——とは知らず、洛陽を突破して、殺到した郭汜、李傕の聯合勢は、その前方に、思はぬ大軍が上つて来るのを見て、
「はてな?」
と、眼をこすつた。
「怪訝(いぶか)しい事ではある。朝臣のうちに、何者か、妖邪の法を行ふ者があるのではないか。たつた今、わづかの近臣をつれて逃げのびた帝(テイ)のまはりに、あのやうな軍馬が一時に現れるわけはない。妖術を以(もつ)て、われ等の目を晦(くら)ましてゐる幻の兵だ。恐るゝことはない。突き破れ」
と、当つて来た。
幻の兵は、強かつた。現実に、山東軍の新しい兵備と、勃興的な闘志を示した。
何かは堪(たま)るべき。
雑軍に等しい——しかも旧態依然たる李傕や郭汜の兵は存分に打ちのめされて、十方へ纂乱(サンラン)した。
「血祭の第一戦だ。——斬つて斬つて斬り捲(ま)くれ」
夏侯惇は、荒ぶる兵へ、猶(なほ)さら気負ひかけた。
血、血、血——曠野から洛陽の中まで、道は血しほでつながつた。
その日、半日だけで、馘(くびき)つた敵屍(テキシ)の数は、一万餘と称せられた。
黄昏(たそがれ)頃。
帝は玉体につゝがもなく、洛陽の故宮へ入御(ジユギヨ)され、兵馬は城外に陣を取つて、旺(さかん)なる篝火(かゞりび)を焚いた。
幾年ぶりかで、洛陽の地上に、約八、九万の軍馬が屯(たむろ)したのである。篝火に仄(ほの)赤(あか)く空が染められただけでも、その夜、帝のお眠りは久々ぶりに深かつたに違ひない。
程なく。
曹操も亦(また)、大軍を率ゐて、洛陽へ上つて来た。その勢威だけでも、敵は雲散霧消してしまつた。
「曹操が上洛した」
「曹将軍が上られた」
人心は日輪を仰ぐごとく彼の姿を待つた。彼の名は、彼が作つたわけでもない大きな人気につゝまれて洛陽の紫雲に浮かび上がつて来た。
彼が、都に入る日、その旗本はすべて、朱(あか)い盔(かぶと)、朱地(シユチ)金襴(キンラン)の戦袍(センパウ)、朱柄(あかえ)の槍、朱い幟旗(シキ)を揃へて、八卦の吉瑞(キチズヰ)に象(かたど)つて陣列を立て、その中央に、大将曹操をかこんで、一鼓(イツコ)六足(ロクソク)、大地を踏み鳴らして入城した。
迎へる者、仰ぐ者、
「この人こそ、兵馬の長者」
と懼(おそ)れぬはなかつた。
が、曹操は、さして驕(おご)らず、すぐ帝(テイ)にまみえて、しかも、帝(テイ)のおゆるしのないふちは、階下に低く屈して、貧弱な仮宮とはいへ、徒(いたづ)らに殿上を踏まなかつた。
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[補註]新聞連載版では李傕を李確、郭汜を郭氾に作っています。この配信では誤字と思われるものも、そのまま記載することを基本方針としていますが、この誤記については数が多いため、李確を李傕、郭氾を郭汜に修正しています。
次回 → 火星と金星(一)(2024年7月8日(月)18時配信)
なお、日曜日については夕刊が休刊のため、配信はありません。