第一回 → 黄巾賊(一)
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砂塵と悲鳴につゝまれながら、帝の御車は辛くも十数里を奔(はし)つて来られたが、ふと、行く手の曠野に横たはる丘の一端から、忽ち、漠々たる馬煙りが立ち昇つて来るのが見えたので、
「や、や?」
「あれの大軍は?」
「敵ではないか?」
「早……前にも敵か?」
と、扈従(コジウ)の官人たちは、みな躁(さは)ぎ立て、帝にも、愕然と眉をひそめられた。
進退こゝに谷(きは)まるかと、御車に従ふ者たちが度を失つて喚(わめ)くので、皇后も泣き声を洩らさせ給ひ、帝も、御簾の裡(うち)から幾度となく、
「道を変へよ」
と叫ばれた。
然(しか)し、今さら道を変へて奔つても何(ど)うならう。後(うしろ)も敵軍、前も敵軍。
さう考へたか、扈従の武臣朝官たちは、早くもこゝを最期と叫んだり、或る者は、逃げる工夫に血眼をさまよはせてゐた。
ところへ!
彼方から唯(たゞ)二、三騎。それは武者とも見えない扮装(いでたち)の者が、何か、懸命に大声をあげながら、此方(こなた)へ馳けて来るのが見えた。
「あつ。見たやうな?」
「朝臣らしいぞ」
「さうだ、前(さき)に、勅使として、山東へ下つた者たちだ」
意外。その人々は、やがて息(いき)喘(せ)きながら駒を飛び降るや、御車の前へひれ伏して、
「陛下。たゞ今帰りました」
と、奏上した。
帝には、猶(なほ)、怪訝(いぶか)りの解けぬ御容子で、
「あれに見ゆる大軍は、抑(そも)、何ものゝ軍勢か」
「さればにて候(さふらふ)、——山東の曹将軍には、われらを迎へ、詔勅を拝するや、即日、お味方を号令し給ひ、その第一陣として、夏侯惇、その他十餘将の御幕下に、五万の兵を授けられ、はやこれまで参つたものでござりまする」
「えつ……ではお味方に馳せ上つた山東の兵よな」
御車の周囲に犇(ひし)めいてゐた人々は、使者のことばを聞くと、一度に生色を取りもどし躍り上がらんばかりに狂喜した。
そこへ、鏘々(サウ/\)たる鎧光をあつめた一隊の駿馬は早、近づいて来た。
夏侯惇、許褚、典韋などを先にして、山東の猛将十数名であつた。
御車を見ると、
「礼!」
と、戒め合つて、さすがに規律正しく一斉にザザザツと、鞍から飛び降りた。
そして、列を正しながら、約十歩ほど出て、夏侯惇が一同を代表して云つた。
「御覧の如く、臣等、長途を急ぎ参つて、甲冑を帯し、剣を横たへ居りますれば、謹んで、闕下(ケツカ)に御謁を賜ふ身仕度もいたしかねます。——願はくば、軍旗を以(もつ)て、直奏おゆるしあらん事を」
さすがに聞えた山東の勇将、言語明晰、態度も立派だつた。
帝(テイ)は、一時のお歓びばかりでなく、いとゞ頼(たの)母(も)しく思(おぼし)召(め)されて、
「鞍馬(アンバ)長途の馳駆、何で服装を問はう。今日、朕が危急に馳せ参つた労と忠節に対しては、他日、必ず重き恩賞をもつて酬(むく)ふるであらうぞ」
と、宣(のたま》つた。
夏侯惇以下、謹んで再拝した。
その後で夏侯惇はふたゝび、
「主人曹操は、大軍を調(とゝ)なふ為、数日の暇を要しますが、臣等、先鋒として、これに参りましたからには、何とぞ、御心安らかに、何事もおまかせ置き給はりますやうに」
と、奏した。
帝は、御眉を開いて頷(うなづ)かれた。
御車をかこむ武臣も宮人たちも、異口同音、万歳々々を歓呼した。
——ところへ、
「東の方より敵が見える」
と、告げる者があつた。
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次回 → 改元(五)(2024年7月6日(土)18時配信)