第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 緑林(りよくりん)の宮(みや)(四)
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【前回迄の梗概】
後漢の末、天下は董卓、袁紹、曹操等の群雄割拠し麻の如く乱れたが、董卓先づ呂布の謀反によつて倒れる。此間に乗じて曹操は大兵を挙げ先に徐州征伐の背後をついた呂布と一戦を交へる。呂布の智将陳宮の計に危く一命を失ひかけるが蝗の来襲に饑饉至り両軍兵を引揚げる。徐州の太守陶謙は餘命幾何もない事を知りかねてその人材たるを知つてゐた劉備にその地位を譲る。そこへ部下田氏の内応で国を失つた呂布が僅かばかりの兵をつれて頼つて来る。
都では李傕、郭汜の二権臣が政治を私してゐたが太尉楊彪の計により二権臣間に争乱が起きそのため都は再び戦場と化し、献帝は李傕の甥李暹によつて郿塢城内に幽閉されて了(しま)ふに及び両軍の対立は愈々激しくなつたが陝西の張済によつて和成り帝は弘農遷都の旅に上られた。それを追つて再び郭汜の軍がせまるが、嘗ての李傕の部下楊奉によつて救はれ遂に緑林の徒李楽に養はれる身とさへなられた。
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前(さき)に。
帝の一行と別れて、たゞ一名、李傕や郭汜に会つて兵を罷(や)めるやう勧請(クワンセイ)してみる——と、途中から去つた太僕韓融は、やがて、大勢の宮人や味方の兵を伴(つ)れてこれへ帰つて来た。
すぐ闕下(ケツカ)に伏して、
「御安心ください。彼等も、私の勧告に従つて、兵戦を休め、沢山な捕虜(とりこ)をみな放してよこしました」
と、奏上した。
あの暴将の李と郭が、一片の勧告でよくそんな神妙に心を翻(ひるがへ)したものだ——と人々は怪しんだが、韓融からだん/\仔細を訊(き)いてみると、
「いや、彼等の良心よりも、飢饉の影響が否(いや)応(おう)なく、戦争を休めさせたのだ」
と、いふ事であつた。
秋から冬にかゝつて来ると、その年の大飢饉は、深刻に、庶民の生活に現れて来た。
百姓たちは、棗(なつめ)を採つて咬(か)んだり、草を煮て、草汁を飲んで凌(しの)いだり、もうその草も枯れてくると枯草の根や、土まで喰つてみた。こゝ茅屋(あばらや)の宮廷も、俄(にはか)に宮人が増して帝のお心は気づよくなつたが、さし当つて、朝官たちの食ふ物に窮してしまつた。
「洛陽へ還らう」
帝は、頻(しき)りに、仰せられた。
すると、李楽(リラク)がいつも、
「洛陽へ行つても、この飢饉は同じことだ」
と、反対を唱へた。
併(しか)し、朝臣の総意は、
「かゝる狭小な地に、長く聖駕(セイガ)をお駐(と)めするわけにはゆかぬ。洛陽は古から天子建業の地でもあれば——」
と皆、還幸を望んでゐた。
が、どうも李楽ひとりが、頑張るのでいつも評議はぶつ壊しになる。
そこで、一夜、李楽が手下をつれて又、村へ酒や女を捜しに行つた留守の間に、かねて計り合わせてゐた朝臣や侍側の将たちは、遽(にはか)に御車を曳き出し、
「洛陽へ還幸」
と、触れ出した。
楊奉、楊彪、董承の輩(ともがら)が、御車を守護しつゝ、闇を急いだ。——そして幾日幾夜の難路を急ぎ、やがて箕関(キクワン)(河南省・河南附近)といふ所の関所にかゝると、その夜もすでに四更の頃、四山の闇から点々と松明(たいまつ)の光りが閃(ひら)めき迫つて来て、それが喊(とき)の声に変ると、
「李傕、郭汜、この所にて待ち伏せたり」
と、いふ声が四方に聞えた。
楊奉は、愕(おどろ)く帝をなぐさめて
「いや/\何条(ナンデフ)、李傕や、郭汜がこんな所に出現しませう。察するところ、李楽が詐(いつは)つて、襲うて来たにちがひありません。——徐晃々々、徐晃やある」
と呼ばはつた。
「これにゐます」
徐晃は、御車のうしろで答へた。楊奉は、命じて、
「殿軍(しんがり)は、汝にまかせる。けふこそ、堪忍の緒を断(た)つてもよいぞ」
と、云つた。
「あつ」
と、徐晃は歓び勇んで、
「お先へ、お先へ」
と、御車を促した。
そして自身は、そこに踏みとゞまり、やがて李楽が追ひかけて来ると、馬上、大手をひろげて、
「獣(けだもの)つ、待てつ、これから先は洛陽の都門、獣類の通る道でないつ」
と、どなつた。
「何ツ、俺ツちを、獣だと。この二才め」
喚(わめ)きかゝつて来るのを引つ外して、徐晃は、雷声一撃。
「よくも今日まで!」
と、日頃怺(こら)へに怺へてゐた怒りを一度に発して、大刀の下に見事李楽を両断してしまつた。
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[補註]新聞連載版では李傕を李確、郭汜を郭氾に作っています。この配信では誤字と思われるものも、そのまま記載することを基本方針としていますが、この誤記については数が多すぎるため、李確を李傕、郭氾を郭汜に修正しています。
次回 → 改元(一)(2024年7月2日(火)18時配信)