第一回 → 黄巾賊(一)
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楊奉の部下に、徐晃(ジヨコウ)、字(あざな)を公明(コウメイ)と称(よ)ぶ勇士がある。
栗色の駿馬に乗り、大斧をふりかぶつて、郭汜の人数を蹴ちらして来た。それに当る者は、殆(ほとん)ど血煙と化して、満足な形骸(むくろ)も止めなかつた。
郭汜の手勢を潰滅してしまふと楊奉はまた、その餘勢で、
「鑾輿(ランヨ)を擁して逃亡せんとする賊共を、一人も餘さず君側から掃討してしまへ」
と、徐晃にいひつけた。
「心得た」
とばかり、徐晃は、火焰の如き血の斧をふりかぶつて、栗色の駒を向けて来た。
御車を楯に隠れてゐた李傕とその部下は、戦ふ勇気もなくみな逃げ奔(はし)つた。然(しか)し、宮人たちは、帝を捨てゝ逃げもならず、一斉に地上に坐つて、楊奉の処置にまかせてゐた。
楊奉は、やがて戟を収めると、兵を整列させて、御車を遥拝させた。そして彼自身は、盔(かぶと)を手に持つて、帝の簾(レン)下(カ)にひざまづいて頓首してゐた。
帝は、歓びの餘り御車を降りて、楊奉の手を取られた。
「危(あやふ)きところを救ひくれし汝の働きは、朕の肺腑に銘じ、永く忘れおかぬぞ」
そして、又、
「先に、大斧を揮つてゐた目ざましき勇士は何者か」
と、訊ねられた。
楊奉は、徐晃を麾(さしまね)いて、
「河東(カトウ)楊郡(ヤウグン)の生れで徐晃、字を公明といひ、それがしの部下です」
と奏して、徐晃にも、光栄を頒(わか)つた。
その夜。
帝の御車(みくるま)は、華陰(クワイン)の寧輯(ネイシフ)といふ部落にある楊奉の陣所へ行つて、営中にお泊りになつた。
夜明け方、そこを出発なさらうと準備してゐると、
「敵だツ」
と、思はぬ声が走つた。
朝討ちを狙つて来た昨日の敵の逆襲だつた。しかも昨日に数倍する大軍で襲(よ)せて来たのである。
楊奉におわれた李傕と、楊奉に粉砕された郭汜とが、お互(たがひ)に敗軍の将と成り下がつて、同傷の悲憤を憐(あはれ)み合ひ、
(こゝはお互に団結して、邪魔者の楊奉を除いてしまはうではないか。さもないと、二人共、憂目(うきめ)を見るに極(きま)つてゐる)
と、遽(にはか)に、協力し出して、昨夜から密(ひそか)に蠢動(シユンドウ)し、近県の無頼漢や山賊の類(たぐひ)まで狩りあつめて、さてこそ、わあつと一度に営を取囲んだものだつた。
徐晃は、きのふに劣らぬ奮戦ぶりを示したが、味方は小勢だし、それに何といつても、帝の御車や宮人たちが足手(あしで)纏(まと)ひとなつて、刻刻、危急に瀕(ヒン)して来た。
折から、幸ひにも、帝の寵妃(チヨウヒ)の父にあたる董承(トウジヤウ)といふ老将が、一隊の兵を率ゐて、帝の御車を慕つて来たので、帝は、虎口を脱して、先へ逃げ落ちて行かれた。
「やるな、御車を」
「帝を渡せ」
と、郭汜、李傕の部下は、叱咤されながら、御車を追ひかけて来た。
楊奉は、その敵が、雑多な雑軍なのを見て、
「珠玉、財物を、みな道へお捨てなさい」
と、帝や随臣にすゝめた。
皇后には、珠の冠や胸飾りを、帝には座右の符冊(フサク)典籍(テンセキ)までを、車の上から惜気(をしげ)なく捨てられた。
宮人や武将たちも、衣を剝ぎ、金帯を外し、生命には更(か)へられないと、持つ物をみな撒き捨てゝ奔つた。
「やあ、珠が落ちてる」
「釵(かんざし)があつた」
「金襴(キンラン)の袍(ハウ)があるぞ」
追いかけて来た兵は皆、餓狼のごとく地上の財物に気を奪(と)られてそれを拾ふに、われ勝ちな態(テイ)だつた。
「ばか者つ、進め!帝の御車を追ふんだつ。そんな物を拾つてゐてはならん」
と、李傕や郭汜が、馬で蹴ちらして喚(わめ)いても、金襴や珠にたかつてゐる蛆蟲(うじむし)はそこを離れなかつた。彼等には、帝王の轍(わだち)の跡を追ふよりは手に抱へた百銭の財の方が遙(はるか)に大事だつた。
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[補註]新聞連載版では李傕を李確、郭汜を郭氾に作っています。この配信では誤字と思われるものも、そのまま記載することを基本方針としていますが、この誤記については数が多すぎるため、李確を李傕、郭氾を郭汜に修正しています。
次回 → 緑林(りよくりん)の宮(みや)(二)(2024年6月27日(木)18時配信)