第一回 → 黄巾賊(一)
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行けども/\満目の曠野である。時しも秋の半(なかば)、御車(みくるま)の簾(すだれ)は破れ、詩もなく笑ひ声もなく、有るは唯(たゞ)、惨心のみであつた。
旅の雨に褪(あ)せた帝の御衣には虱(しらみ)がわいてゐた。皇后の御髪(みぐし)には油の艶も絶え、御涙の痩せをかくす御化粧の料もなかつた。
「こゝは何処(どこ)か」
吹く風の身に沁みるまゝ帝は簾のうちから訊かれた。薄暮の野に、白い一水が蜿々(うね/\)と流れてゐた。
「覇陵橋(ハリヨウキヤウ)の畔(ほとり)です」
李傕が答へた。
間もなく、その橋の上へ、御車がかゝつた。すると、一団の兵馬が、行手を塞ぎ、
「車上の人間は何者だ」
と、咎めた。
侍中郎の楊琦が、馬をすゝめ、
「これは、漢の天子の弘農へ還幸せらるゝ御車である。不敬すな!」
と、叱咤した。
すると、大将らしい者二人、はつと威に恐れて馬を降り、
「われわれ共は、郭汜の指図に依つて、この橋を守り、非常を戒めてゐる者でござるが、真(まこと)の天子と見たならば、お通し申さん。願はくば拝をゆるされたい」
楊琦は、御車の簾をかゝげて見せた。帝のお姿をちらと仰ぐと、橋を固めてゐた兵は、われを忘れて、万歳を唱へた。
御車が通つてしまつた後から、郭汜が馳けつけて来た。そして、二人の大将を呼びつけるなり怒鳴りつけた。
「貴様たちは、何をしてゐたのだ。なぜ御車を通したか」
「でも、橋を固めてをれとのお指図はうけましたが、帝の玉体を奪ひ取れとは吩咐(いひつ)かりませんでした」
「ばかつ。おれが、張済の云ふに従つて、一時、兵を収めたのは、張済を欺くためで、心から李傕と和睦したのぢやない。——それ位(くらゐ)な事が、わが幕下でありながら解(わか)らんのかつ」
と、二人の将を、立ちどころに縛(から)めて、その首を刎ねてしまつた。
そして、声荒く、
「帝を追へつ」
と、罵つて、兵を率ゐて先へ急いだ。
次の日、御車が華陰(クワイン)県をすぐる頃に、後(うしろ)から喊(とき)の声が迫つた。
振向けば、郭汜の兵馬が、黄塵をあげて、狂奔してくる。帝は、〔あな〕とばかり声を放ち、皇后は怖れわなゝいて、帝の膝へしがみついて早(はや)、泣き声をおろ/\と洩らし給ふ。
前後を護る御林の兵も、極めて僅(わづか)しかゐないし、李傕もすでに、長安で暴れてゐたほどの面影はない。
「郭汜だ。どうしよう」
「おゝ!もうそこへ」
宮人たちは、逃げまどひ、車の陰にひそみ、唯(たゞ)うろたへるのみだつたが——時しもあれ一(イチ)彪(ピヤウ)の軍馬が又、忽然と、大地から湧き出したやうに、彼方の疎林や丘の陰から、鼓を打鳴らして殺到した。
意外。意外。
帝を護る人々にも、帝の御車を追いかけて来た郭汜にも、それはまつたく意外な者の出現だつた。
見れば——
その勢一千餘騎。まつ黒に馳け向つて来る軍の上には「大漢楊奉」と書いた旗がひらめいてゐた。
「あつ。楊奉?」
誰も、その旗には、目をみはつたであらう。先頃、李傕に叛(そむ)いて、長安から姿を消した楊奉を知らぬはない。——彼はその後、終南山(シウナンザン)に潜んでゐたが、天子こゝを通ると知つて、遽(にはか)に手勢一千を率し、急雨の山を降るが如く、野を捲(ま)いてこれへ馳けて来たものだつた。
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[補註]新聞連載版では李傕を李確、郭汜を郭氾に作っています。この配信では誤字と思われるものも、そのまま記載することを基本方針としていますが、この誤記については数が多すぎるため、李確を李傕、郭氾を郭汜に修正しています。
次回 → 緑林(りよくりん)の宮(みや)(一)(2024年6月26日(水)18時配信)