第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 巫女(みこ)(二)
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李傕は、煩悶してゐた。夜が明けるたび営中の兵が減つて行く。
「なにが原因か?」
考へても、分らなかつた。
不機嫌なところへ、反対に、思ひがけない恩賞が帝から降つた。彼は有頂天になつて、例のごとく巫女を集め、
「今日、大司馬の栄爵を賜はつた。近いふちに、何か、吉事があると、おまへ達が預言したとほりだつた。祈禱の験は寔(まこと)に顕(あらた)かなもんだ。おまへ達にも、恩賞を頒(わ)けてつかはすぞ」
と、それ/゛\の巫女へ、莫大な褒美を与へて、愈々(いよ/\)妖邪の祭りを奨励した。
それにひきかへ将士には、何の恩賞もなかつた。むしろ此頃、脱走者が多いので叱られてばかりゐた。
「おい楊奉」
「やあ、宋果(サウクワ)か。どこへゆく」
「何……。ちよつと、貴公に内密で話したいと思つて」
「何だ?こゝなら誰もゐないが。君らしくもなく、鬱(ふさ)いでゐるぢやないか」
「楽しまないのは、この宋果ばかりではない。おれの部下も、営内の兵は皆、あんなに元気がない。これといふのも、われ/\の大将が将士を愛する道を知らないからだ——悪い事はみな兵のせゐにし、吉(よ)い事があれば、巫女の霊験と思つてゐる」
「うゝム。……まつたく、あゝいふ大将の下にゐたら、将士も情(なさけ)ないものだ。われ/\は常に、十死に一生を拾ひ、草を喰ひ石に臥し修羅の中に生命を曝(さら)して働いてゐる者だが……その働きはあの巫女にも及ばないのだから」
「楊奉。——お互(たがひ)に部下をあづかる将校として部下が可哀さうぢやないか」
「でも仕方があるまい」
「それで実は、君に……」と、同僚の宋果は、一大決心を、楊奉の耳へさゝやいた。
叛乱を起さうといふのだ。楊奉も異存はない。天子を扶け出してやらうとなつた。
その夜の二更(ニカウ)に、宋果は、中軍から火の手をあげる合図だつた。——楊奉は、外部にあつて、兵を伏せてゐた。
ところが、時刻になつても、火の手はあがらない。物見を出して窺(うかゞ)はせると、事前に発覚して、宋果は、李傕に捕われて、もう首を刎ねられてしまつたとある。
「しまつた」
と、狼狽している所へ、李傕の討手が、楊奉の陣へ殺到して来た。すべてが喰ひ違つて、楊奉は度を失ひ、四更の頃まで抗戦したが、散々に打負かされて、彼は遂に夜明けと共に、何処(いづこ)ともなく落ちのびてしまつた。
李傕の方では、凱歌をあげたが、をかしなものである。実は却(かへ)つて大きな味方の一勢力を失つたのだ。——日を趁(お)ふに従つて、彼の兵力は著しく衰弱を呈してきた。
一方、郭汜軍も、漸(やうや)く、戦ひ疲れてゐた。そこへ、陝西地方から張済と称する者が、大軍を率ゐて仲裁に馳け上り、和睦を押しつけた。
嫌(いや)といへば、新手の張済軍に叩きのめされる惧(おそ)れがあるので、
「爾今(ジコン)、共に協力して政事をたて直さう」
と、和解した。
質となつてゐた百官も解放され帝もはじめて眉をひらいた。帝は張済の功を嘉(よみ)し、張済を驃騎将軍(ヒヤウキシヤウグン)に命じた。
「長安は大廃しました。弘農(コウノウ)(陝西省・西安附近)へお遷(うつ)りあつては如何(いかゞ)です」
張済のすゝめに、帝も御心をうごかした。
帝には、洛陽の旧都を慕ふこと切なるものがあつた。春夏秋冬、洛陽の地には忘れ難い魅力があつた。
弘農は、旧都に近い。御意は忽ち極(きま)つた。
折しも、秋の半(なかば)、帝と皇后の輦(くるま)は長い戟を揃へた御林軍の残兵に守られて、長安の廃墟を後に、曠茫(クワウバウ)たる山野の空へと行幸せられた。
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[補註]新聞連載版では李傕を李確、郭汜を郭氾に作っています。この配信では誤字と思われるものも、そのまま記載することを基本方針としていますが、この誤記については数が多すぎるため、李確を李傕、郭氾を郭汜に修正しています。
次回 → 巫女(みこ)(四)(2024年6月25日(火)18時配信)