第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 巫女(みこ)(一)
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李傕の陣中には、巫女がたくさんゐた。みな重く用ひられ、絶えず帷幕(ヰバク)に出入りして、何か事ある毎(ごと)に、祭壇に向つて、禱(いの)りをしたり、調伏(テウブク)の火を焚いたり、神(かみ)降(おろ)しなどして、
「神さまのお告(つげ)には」
と、妖しげな御託宣を、李傕へ授けるのであつた。
李傕は、おそろしく信用する。何をやるにもすぐ巫女を呼ぶ。そして神さまのお告を聴く。
巫女の降す神は邪神とみえ、李傕は天道も人道も怖れない。いよいよ乱を好んで、郭汜と啀(いが)みあひ、兵を殺し、民衆を苦しめて顧みなかつた。
彼と同郷の産、皇甫酈(クワウホレイ)は、或(ある)時(とき)、彼を陣中に訪れて、
「無用な乱は、よい加減に熄(や)めてはどうです。君も国家の上将として、爵禄を極め、何不足もないはずなのに」
と、云つた。
李傕は、嘲笑つて、
「君は、何しに来たか」
と、反問した。
皇甫酈もニやリとして、
「どうも、将軍はすこし神(かみ)懸(がか)りにかゝつてゐるやうだから、将軍に憑(つ)いてゐる邪神を掃ひ落して上げようと思つて来た」
と、答へた。
彼は、弁舌家なので、滔々と舌をふるひ、私闘のために人民を苦しめたり、天子を監禁したりしてゐる彼の罪を鳴らし、今にして悔い改めなければ、遂に、天罰があらうと云つた。
李傕は、いきなり剣を抜いて、彼の顔に突きつけ、
「帰れつ。——まだ口を開いてゐると、これを呑ませるぞ」
と、どなりつけた。そして、
「——さては、天子の密旨をうけて、おれに和睦をすゝめに来たな。天子の御都合はよいか知らぬが、おれには都合が悪い。誰か、この諜者(まはしもの)をくれてやるから、試し斬(ぎり)に用ひたい者はゐないか」
すると、騎都尉の楊奉(ヤウホウ)が、
「それがしにお下げください。内密のお差(さし)向(むけ)とは申せ、将軍が勅使を虐殺したと聞えたら、天下の諸侯は、敵方の郭汜へみな味方しませう。将軍は世の同情を失ひます」
「勝手にしろ」
「では」
と、楊奉は、皇甫酈を、外へ連れ出して放してやつた。
皇甫酈は、まつたく、帝のお頼みをうけて、和睦の勧告に来たのだつたが、失敗に終つたのでそこから西涼へ落ちてしまつた。
だが、途々(みち/\)、
「大逆無道の李傕は、今に天子をも殺しかねない人非人だ。あんな天理に反(そむ)いた畜生は、必ずよい死に方はしないだらう」
と、云い触(ふ)らした。
ひそかに、帝に近づいてゐた賈詡も、暗に、世間の悪評を裏書するやうな事を、兵の間にさゝやいて、李傕の兵力を、内部から切り崩してゐた。
「謀士賈詡さへ、あゝ云ふ位(くらゐ)だから、見込はない」
脱走して、他国や郷土へ落ちてゆく兵がぼつ/\殖(ふ)え出した。
さういふ兵には、
「おまへたちの忠節は、天子もお知りになつてをる。時節を待て。そのうちに、触(ふれ)が廻るであらうから」
と、云ひふくめた。
一隊、一隊と、目に見えて、李傕の兵は、夜の明けるたび減つて行つた。
賈詡は、ほくそ笑んだ。そして又、或(ある)時(とき)、帝に近づいて献策した。
「この際、李傕の官職を大司馬に昇せ、恩賞の沙汰をお降し下さい——目をおつぶり遊ばして」
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[補註]新聞連載版では李傕を李確、郭汜を郭氾に作っています。この配信では誤字と思われるものも、そのまま記載することを基本方針としていますが、この誤記については数が多すぎるため、李確を李傕、郭氾を郭汜に修正しています。
次回 → 巫女(みこ)(三)(2024年6月24日(月)18時配信)
なお、日曜日については夕刊が休刊のため、配信はありません。