第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 毒と毒(六)
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「なに、無条件で和睦せよと。ばかを云ひ給へ」
郭汜は、耳も藉(か)さない。
それのみか、不意に、兵に令を下して、楊彪に従(つ)いて来た大臣以下宮人など、六十餘人の者を、一からげに縛つてしまつた。
「これは乱暴だ。和議の媒介(なかだち)に参つた朝臣方を、何(なに)故(ゆゑ)あつて捕へ給ふか」
楊彪が声を荒くして咎めると、
「だまれつ。李司馬の方では、天子をさへ捕へて質(シチ)としてゐるではないか。それを以(もつ)て、彼は強味としてゐる故(ゆゑ)、此方も亦(また)、群臣を質として召捕つておくのだ」
傲然、郭汜は云ひ放つた。
「おゝ、何たる事ぞ!国府の二柱たる両将軍が、一方は天子を脅やかして質となし、一方は群臣を質として嘯(うそぶ)く。浅ましや、人間の世も、かうなるものか」
「おのれ、まだ囈(たわ)言(ごと)を吐(ほ)ざくかつ」
剣を抜いて、あはや楊彪を斬り捨てようとした時、中郎将楊密(やウミツ)が、あわてゝ郭汜の手を抑へた。
楊密の諫めで、郭汜は剣を納めたけれども縛りあげた群臣は免(ゆる)さなかつた。たゞ楊彪と朱雋の二人だけ、抛(はう)り出されるやうに陣外へ追ひ返された。
朱雋は、もはや老年だけに、けふの使(つかひ)には、ひどく精神的な打撃をうけた。
「噫(あゝ)。……噫(あゝ)……」
と、何度も空を仰いで、力なく歩いてゐたが、楊彪を顧みて、
「お互ひに、社稷(シヤシヨク)の臣として、君を扶(たす)け奉ることもできず、世を救ふことも出来ず、何の生き甲斐がある」
と歎いた。
果(はて)は、楊彪と抱きあつて、路傍に泣き仆(たふ)れ、朱雋は一時昏絶するほど悲しんだ。
そのせゐか、老人は、家に帰るとまもなく、血を吐いて死んでしまつた。楊彪が知らせを受けて馳けつけてみると、朱雋老人の額は砕けてゐた。柱へ自分の頭をぶつつけて憤死したのである。
朱雋でなくとも、世の有様を眺めては、憤死したいものはたくさんあつたらう。——それから五十餘日といふもの、明けても暮れても、李傕、郭汜の両軍は、毎日、巷へ兵を出して戦つてゐた。
戦ひが仕事のやうに。戦が生活のやうに。戦ひが楽しみのやうに。意味なく、大義なく、涙なく、彼等は戦つてゐた。
双方の死骸は、街路に横たはり、溝をのぞけば溝も腐臭。木陰にはいれば木陰にも腐臭。——そこに淋しき草の花は咲き、虻(あぶ)がうなり、馬蠅(うまばへ)が飛んでゐた。
馬蠅の世界も、彼等の世界も、何の変りもなかつた。——むしろ馬蠅の世界には、緑陰の涼風があり、豆の花が咲いてゐた。
「死にたい。しかし死ねない。何故、朕は天子に生れたらうか」
帝は、日夜、御涙の乾く時もなく沈んで居られた。
「陛下」
侍中郎の楊琦がそつと御耳へささやいた。
「李傕の謀臣に、賈詡といふ者が居ります。——臣がひそかに見てをりますに、賈詡には、まだ、真実の心がありさうです。帝の尊ぶべきことを知る士(さむらい)らしいと見ました。いちど密(ひそ)かにお召しになつてごらんなさい」
或る時、賈詡は用があつて、帝の幽室へはいつて来た。帝は人を退けて突然陪臣の賈詡の前に再拝し、
「汝、漢朝の乱状に義をふるつて、朕にあはれみを思へ」
と、宣(のたま)うた。
賈詡は、驚いて、床にひざまづき、頓首して答へた。
「今の無情は、臣の心ではありません。時をお待ち遊ばしませ」
そこへ、折(をり)悪(あし)く李傕がはいつてきた。長刀を横たへ、鉄の鞭をさげ、帝の顔をじつと睨みつけたので、帝は、お顔を土気色にして恐れおのゝいた。
「すは!」
と侍臣達は万一を思つて、帝のまはりに総立ちになり、各々、われを忘れて剣を握つた。
その空気に、かへつて李傕の方が、怖れをなしたらしく、
「あはゝゝ。何を驚いたのかね。……賈詡、何ぞ面白いはなしでもないか」
などゝ笑ひに紛らして、間もなく外へ立ち去つた。
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[補註]新聞連載版では李傕を李確、郭汜を郭氾に作っています。この配信では誤字と思われるものも、そのまま記載することを基本方針としていますが、この誤記については数が多すぎるため、李確を李傕、郭氾を郭汜に修正しています。
次回 → 巫女(みこ)(二)(2024年6月22日(土)18時配信)