第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 桑の家(二)
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詫びても[詫びても]詫び足らないほど、劉備は母に対して済まない心地であつた。けれど母は、久しぶりに旅から帰つて来た我が子が、そんな自責に泣き愁(かなし)む事は、かへつて不愍やら気の毒やらで、自分の胸も傷むらしく、
「劉備や、泣いておくれでない。何を詫(わび)ることがあるものかね。お前のせゐではありはしない。世の中が悪いのだよ。……どれ粟でも煮て、久しぶりに、ふたりして晩のお膳を囲まうね。さだめし疲れてゐるだらうに、今、湯を沸かしてあげるから、汗でも拭いたがよい」
と、蓆機(むしろばた)の前から立ちかけた。
子の機嫌をとつて、子の罪を責めない母の餘りなやさしさに、劉備は猶(なほ)さら大愛の姿に額(ぬかづ)いて
「勿体ない。私が戻りましたからには、そんな事は、劉備がいたします。もう御不自由はさせません」
「いゝえお前は又、あしたから働いておくれ。稼ぎ人だからね、婆やも下僕(しもべ)も居なくなつたのだから、台所の事ぐらゐは、わたしがしませうよ」
「留守中、そんな事があらうとは、少しも知らず、つい旅先で長くなつて、思はぬ御苦労をかけました。さあ、こんな大きな息子が居るんですから、おつ母さんは部屋へ這入(はい)つて、安楽に寝臺へ寝てゐて下さい」
と、云つて劉備はむりに母の手を誘(いざな)つたが、考へて見ると、その寝臺も税吏に税の代りに持つて行かれてしまつたので、母の部屋には、身を横たへる物もなかつた。
いや、寝臺や箪笥だけではない。それから彼が灯(あか)りを持つて、臺所へ行つて見ると、鍋もなかつた。四、五羽の鶏と一匹の牛もゐたのであるが、さうした家畜類まで、すべて領主の軍需と税に徴発されて、目ぼしい物は何も残つてゐなかつた。
「こんなに迄(まで)、領主の軍費も詰まつて来たのか」
劉備は、身の生活を考へるよりも、もつと大きな意味で、暗澹となつた。
そして直ぐ、
「これも、黄匪の害の一つのあらはれだ。あゝ何(ど)うなるのだらう?」
世の行末を思ひやると、彼はいよいよ暗い心に閉(とざ)された。
物置をあけて、彼は夕餉にする粟や豆の俵を見まはした。驚いた事には、多少その中に蓄へておいた穀物も干肉も、天井に吊しておいた乾菜(カンサイ)まできれいに失くなつてゐるのだつた。——もう母に訊くまでもない事と、彼は又、そこでも茫失してゐた。
すると、むりに部屋へ入れて休ませておいた母が部屋の中で、何か小さい物音をさせてゐた。行つて見ると、床板を上げて、土中の瓶の中から、わづかな粟と食物を取出してゐる。
「……ア。そんな所に」
劉備の声に、彼女はふり向いて、浅ましい自分を笑ふやうに、
「すこし隠しておいたのだよ。生きてゆくだけの物はないと困るからね」
「…………」
世の中は急転してゐるのだ。これはもう凡事(ただごと)ではない。何億の人間が、生きながら餓鬼となりかけてゐるのだ。反対に、一部の黄巾賊が、その血をすゝり肉をくらつて、不当な富貴(ふつき)と悪辣な栄華を恣(ほしいまゝ)にしてゐるのだ。
「劉備や……。灯りを持つておいで、粟が煮えたよ。何もないけれど、二人して喰べれば、美味(おいし)からう」
やがて、老いたる母は、貧しい卓から子を呼んでゐた。
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次回 → 桑の家(四)(2023年9月22日(金)18時配信)