第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 愚兄と賢弟(五)
***************************************
一銭を盗めば賊と云はれるが、一国を奪(と)れば、英雄と称せられる。
当時、長安の中央政府もいゝかげんなものに違ひなかつたが、世の中の毀誉褒貶も亦(また)をかしなものである。
曹操は、自分の根城(ねじろ)だつた兗州を失地し、その上、〔いなご〕飢饉の厄にも遭ひなどして、ぜひなく汝南(ヂヨナン)、潁川(エイセン)方面まで遠征して地方の草賊を相手に、いはゆる伐(き)り奪(と)り横行をやつて苦境をしのいでゐたが、その由、長安の都へ聞えると、朝廷から、
(乱賊を鎮定して、地方の平穏に尽した功に依つて、建徳(ケントク)将軍(シヤウグン)費亭(ヒテイ)侯(コウ)に封じ給(たま)ふ)
と、嘉賞(カシヤウ)の沙汰を賜はつた。
で、曹操は、またも地方に勢威をもりかへして、その名、愈々(いよ/\)中外に聞えてゐたが、さうした中央の政廟には、相かはらず、その日暮しな政策しか行はれてゐなかつた。
長安の大都は、先年革命の兵火に、その大半を焼き払はれ、当年の暴宰相董卓は殺され、まつたく面目を一新するかと思はれたが、その後には李傕、郭汜などゝいふ人物が立つて、依然政事を私し、私慾を肥やし、悪政ばかり濫発して、すこしも自粛するところがなかつた為(ため)、民衆は怨嗟を放つて、
「一人の董卓が死んだと思つたら、いつのまにか、二人の董卓が朝廷にできてしまつた」
と、云つた。
けれど誰も、それを大声でいふ者はない。司馬李傕、大将軍郭汜の権力というものは、百官を圧伏せしめて、絶対的なものとなつてゐる。
こゝに太尉楊彪といふ者があつた。或る時朱雋と共に、そつと献帝に近づいて奏上した。
「このまゝでは、国家の将来は実に思ひやられます。聞説(きくならく)、曹操は今、地方にあつて二十餘万の兵を擁し、その幕下には、星のごとく、良い武将と謀臣をかゝへてゐるさうです。ひとつ、彼を用ひて、社稷に巣くふ奸党を剿滅(サウメツ)なされたら如何(いかゞ)なものでせう。……われわれ憂を抱く朝臣は固(もと)より、万民みな、現状の悪政を嘆いてをりますが」
暗に、二奸の誅戮を帝にすゝめたのであつた。
献帝は落涙され、
「おまへたちが云ふまでもない。朕が、彼等二賊のために、苦しめられてゐることは、実に久しいものだ。日々、朕は、我慢と忍辱の日を送つてゐる。……もし、あの二賊を討つことが出来るものなら、天下の人民と共に朕の胸中もどんなに晴々するかと思ふ。けれど悲しいかな、そんな策はあり得まい」
「いや、ないことはありません。帝の御心さへ決するなれば」
「どうして討つか」
「かねて、臣の胸に、ひとつの策が蓄へてあります。郭汜と李傕とは、互に、並び立つてゐますから計略(はかりごと)をもつて、二賊を咬(か)み合せ、相(あひ)叛(そむ)くやうにして、然(しか)る後、曹操に密詔を下して、誅滅させるのです」
「さう行くかの」
「自信があります。その策といふのは、郭汜の妻は、有名な嫉妬(やきもち)やきですから、その心理を用ひて、彼の家庭からまづ、反間の計を施すつもりです。おそらく失敗はあるまいと思ひます」
帝の内意をたしかめると、楊彪は秘策を胸に練りながら、わが邸(やしき)へ帰つて行つた。帰るとすぐ、彼は妻の室へはいつて、
「どうだな。この頃は、郭汜の令夫人とも、時々お目にかゝるかね。……おまへたち奥さん連ばかりで、よく色々な会があるとのことだが」
と、両手を妻の肩にのせながら、いつになく優しい良人になつていつた。
***************************************
[補註]新聞連載版では李傕を李確、郭汜を郭氾に作っています。この配信では誤字と思われるものも、そのまま記載することを基本方針としていますが、この誤記については数が多すぎるため、李確を李傕、郭氾を郭汜に修正しています。
次回 → 毒と毒(二)(2024年6月15日(土)18時配信)