第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 愚兄と賢弟(四)
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「これつ。何するつ」
劉備は、一喝に、張飛を叱りつけた。関羽も、あわてゝ、
「止さないか。場所〔がら〕も辨(わきま)へずに」
と張飛を抱きとめて、壁際へ押しもどした。
が、張飛は、止(や)めない。
「ばかを云へつ。場所〔がら〕だから承知できないのだ。どこの馬の骨か分りもしない奴に、われわれの主君たり義兄たる御方を、手軽に賢弟などゝ、弟呼ばはりされて堪(たま)るか」
「わかつたよ。分つた」
「そればかりでない。さつきから黙つて聞いてゐれば、呂布のやつめ、自分の野望で兗州を攻めた事まで、恩着せがましく云つてやがる。こつちが、謙遜して下手に出れば、ツケ上つて!」
「止せと云つたらつ。それだから貴様は、真情でする事も、常に、酒の上だと人にいはれるのだ」
「酒の上などではない」
「では、黙れ」
「ウヽム。忌々(いま/\)しいな」
張飛は、憤然たる儘(まゝ)、漸(やうや)く席にもどつたが、よほど腹が癒えないとみえて、独り手酌で大杯を仰飲(あほ)りつゞけてゐた。
劉備は、当惑顔に、
「どうも、折角のお招きに、醜態をお目にかけて、お宥(ゆる)しください。舎弟の張飛は、竹を割つたやうな気性の漢ですが、飲むと元気になり過ぎましてな。……はゝゝゝ」
笑ひに紛らしながら詫びた。
呂布は、蒼白になつてゐたが、劉備の笑顔に救はれて、強(し)ひて快活を装ひながら、
「いや/\、何とも思つて居りはしません。酒のする業(わざ)でせうから」
それを聞くと、張飛は又、
(何ツ?)
と云ひたげな眼光を呂布へ向けたが、劉備の顔を見ると、舌うちして、黙つてしまつた。
宴は白けた儘(まゝ)、浮いて来ない。呂夫人も、恐がつて、いつの間にか姿を消してしまつた。
「夜も更けますから」
と、劉備は程よく礼をのべて門を辞した。
客を見送るべく呂布も門の外まで従(つ)いて出た。すると、一足先に門外へ出てゐた張飛が馬上に槍を横たへて突然呂布の前へ立ち現れ
「さあ、星の下で俺と三百合まで勝負しろつ。三百合まで戟を合わせても猶(なほ)勝負がつかなかつたら、生命は助けておいてやる!」
と、どなつた。
劉備は驚いて彼の乱暴を叱りつけ、関羽も亦(また)劉備と共に躍り狂ふ駒の口輪をつかんで、
「いゝ加減にしろつ」
と、必死に喰ひ止めながら、遮二無二帰り道へ曳(ひ)いて行つた。
その翌る日、呂布は少し銷沈して劉備を城へ訪ねて来た。
そして、云ふには。
「あなたの御厚情は、充分にうけ取れるが、どうも御舎弟たちは、それがしを妙に見て居られるらしい。所詮、御縁がないのであらう。——就(つい)ては、他国へ行かうと思ふので、今日は、お暇乞ひに来たわけです」
「それでは私が心苦しい。……どうもこのまゝお別れでは、潔くありません。家弟の無礼は、私から謝します。まあ、暫(しばら)くお駐(とま)りあつて、ゆる/\兵馬をお養ひ下さい。狭い土地ですが、小沛(セウハイ)は水もよし、糧食も蓄へてありますから」
強(た)つて、玄徳はひき止めた。そして自分が前にゐた小沛の宅地を彼のために提供した。それもあくまで慇懃な勧めである。呂布もどうせ遽(にはか)に的(あて)もない身空なので、一族兵馬をひきつれて、彼の好意にまかせて小沛へ住むことになつた。
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次回 → 毒と毒(一)(2024年6月14日(金)18時配信)