第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 愚兄と賢弟(三)
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そこから劉玄徳は先に立つて、呂布の一行を国賓として城内に迎へ、夜は盛宴をひらいて、あくまで篤くもてなした。
呂布は、翌(あく)る日、
「その答礼に」
と、披露して、自分の客舎に、玄徳を招待したいと、使(つかひ)をよこした。
関羽、張飛のふたりは、交々(こも/゛\)、玄徳に云つた。
「お出でになるつもりですか」
「行かうと思ふ、折角の好意を無にしては悪いから」
「何が好意なものか。呂布の肚(はら)の底には、この徐州を奪はうとする下心が見える、断つてしまつたはうがいゝでせう」
「いや、わしは何処(どこ)までも、誠実を以(もつ)て人に接してゆきたい」
「その誠実の通じる対(あひ)手(て)ならいゝでせうが」
「通じる通じないは人さま/゛\で是非もない。わたしはたゞわしの真心に奉じるのみだ」
玄徳は、車の用意を命じた。
関羽、張飛も、ぜひなく供に従(つ)いて、呂布の客舎へ臨んだ。——勿論、呂布は非常な歓びで、下へも措(お)かない歓待ぶりである。
「何分、旅先の身とて、充分な支度もできませんが」
と、断つて、直(たゞち)に、後堂の宴席へ移つたが、日ごろ質素な玄徳の眼には、豪奢驚くばかりだつた。
宴がすゝむと、呂布は、自分の夫人だといふ女性を呼んで、
「おちかづきを希(ねが)へ」
と、玄徳に紹介(ひきあ)はせた。
夫人は、嬋娟(センケン)たる美女であつた。客を再拝して、楚々と、良人のかたはらに戻つた。
呂布は又、機嫌に乗じて、かう云つた。
「不幸、山東を流寓して、それがし逆境の身に、世間の軽薄さを、こんどはよく味はつたが、昨日今日は、実に愉快でたまらない。尊公の情誼にふかく感じましたよ。——これといふのも、曽(かつ)て、この徐州が、曹操の大軍に囲まれて危殆に瀕した折、それがしが、彼の背後の地たる兗州を衝いたので、一時に徐州は敵の囲みから救はれましたな。——あの折、この呂布がもし兗州を襲はなかつたら、徐州の今日はなかつたわけだ。——自分の口から云つては恩着せがましくなるが、そこをあなたが忘れずにゐてくれたのは実に欣(よろこ)ばしい。いゝ事はしておくものだ」
玄徳は、微笑をふくんで、たゝ頷いてゐたが、今度は、彼の手を握つて、
「はからずも、その徐州に身を寄せて、賢弟の世話にならうとは。——これも、何かの縁といふものだらうな」
と酔ふに従つて、呂布はだんだん狎々(なれ/\)しく云つた。
始終、気に入らない顔つきをして、黙つて飲んでゐた張飛は、突然、酒杯(さかづき)を床へ投げ捨てたかと思ふと、
「何。なんだと、もういちど云つてみろ」
と、剣を握つて突つ立つた。
何を張飛が怒りだしたのか、ちよつと見当もつかなかつたが、彼の権まくに驚いて、呂夫人などは悲鳴をあげて、良人のうしろへ隠れた。
「こらつ呂布。汝は今、われわれの長兄たり主君たる御方に対して、賢弟などゝ狎々しく称(よ)んだが、こちらはいやしくも漢の天子の流れを汲む金枝玉葉だ、汝は一匹夫、人家の奴に過ぎない男ではないか。無礼者め! 戸外(そと)へ出ろつ、戸外へ」
酔つた張飛が、これ位(くらゐ)な事を云ひ出すのは、歌を唄ふやうなものだが、彼の手は、同時に剣を抜き払つてゐたので、馴れない者は仰天して色を失つた。
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次回 → 愚兄と賢弟(五)(2024年6月13日(木)18時配信)