第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 愚兄と賢弟(二)
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糜竺は云ふのである。
「呂布の人〔がら〕は、御承知のはずです。袁紹ですら、容れなかつたではありませんか。徐州は今、太守の鎮守せられて以来、上下一致して、平穏に国力を養つてゐるところです。何を好んで、餓狼の将を迎へ入れる必要がありませう」
側にゐた関羽も張飛も、
「その意見は正しい」
と、云はんばかりの顔して頷いた。
劉玄徳も、頷きはした。けれど彼はかう云つて、肯(き)かなかつた。
「なる程、呂布の人物は、決して好ましいものではない。——けれど先頃、もし彼が曹操のうしろを衝いて、兗州を攻めなかつたら、あの時、徐州は完全に曹操のために撃破されてゐたらう。それは呂布が意識して徐州に施した徳ではないが、わしは天佑に感謝する。——今日、呂布が窮鳥(キウテウ)となつて、余に仁愛を乞ふのも、天の配剤かと思へる。この窮鳥を拒むことは自分の気持としては出来ない」
「……は。さう仰つしやられゝば、それ迄(まで)ですが」
糜竺も口をつぐんだ。
張飛は、関羽を顧みて、
「どうも困つたものだよ。われわれの兄貴は人が好すぎるね。狡(ずる)い奴は、その弱点へつけ込むだらう。……まして、呂布などを出迎へに出るなんて」
と、不承々々、従つて行つた。
玄徳は車に乗つて、城外三十里の彼方まで、わざ/\呂布を迎へに行つた。
流亡の将士に対して、実に鄭重な礼であつたから、呂布もさすがに恐縮して、玄徳が車から出るのを見ると、あわてゝ駒を降り、
「何でそれがし如きを、かやうに篤(あつ)く迎へられるか、御好意に応へやうがない」
と、云ふと、劉備は、
「いや私は、将軍の武勇を尊敬するものです。志むなしく、流亡のお身(みの)上(うへ)と伺つて、御同情にたへません」
呂布は、彼の謙譲を前に、忽ち気をよくして、胸を張つた。
「いや、察して下さい。天下の何人も、何(ど)うする事もできなかつた朝廟の大奸董卓を亡ぼしてから、ふたたび李傕一派の乱に遭ひ、それがしが漢朝に致した忠誠も水泡に帰して、むなしく地方に脱し、諸州に軍を養はんとしてきましたが、気宇の小さい諸侯の容れるところとならず、未だにかくの如く、男児の為すある天地をたづね歩いてをる始末です」
と、自嘲しながら、手をさしのべて、玄徳の手を握り、
「どうですか。将来、貴下のお力ともなり、又、それがしの力とも成(な)つて戴(いたゞ)いて、共々大いにやつて行きたい考へですが……」
と、親しみを示すと、劉備は、それには答へないで、袂(たもと)の中から、かねて先太守陶謙から譲られた「徐州の牌印(ハイイン)」を取出し、彼のまへに差しだした。
「将軍。これをお譲りしませう。陶太守の逝去の後、この地を管領する人がないため、やむなく私が代理してゐましたが、閣下がお継ぎ下さればこれに越した事はありません」
「えつ、それがしに、この牌印を」
呂布は、意外な顔と同時に、無意識に大きな手を出して、次にはすぐ、(然(しか)らば遠慮なく)
と、受取つてしまひさうな容子だつたが、ふと、玄徳のうしろに立つてゐる人間を見ると、自分の顔いろを、刮(くわ)ツと二人して睨みつけてゐるので、
「はゝゝゝゝ」
と、さり気なく笑つて、その手を横に振つた。
「何かと思へば、徐州の地をお譲り下さるなどゝ、餘りに望外過ぎて、御返辞にうろたへます。——それがしは元来、武弁(ブベン)一徹(イツテツ)、州の吏務を司(つかさ)どるなどゝいふ事は、本来の才ではありません。まあ、まあ」
と、云ひ紛らはすと、側にゐた彼の謀臣陳宮も、口をあはせて辞退した。
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次回 → 愚兄と賢弟(四)(2024年6月12日(水)18時配信)