第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 牛と「いなご」(三)
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その年の十二月、曹操の遠征軍は、まづ陳の国を攻め、汝南(河南省)潁川(エイセン)地方(安徽省・開封)を席巻して行つた。
——曹操(サウサウ)来(きたる)。
——曹操来。
彼の名は、冬風の如く、山野に鳴つた。
こゝに、黄巾の残党で、何儀(カギ)と黄邵(クワウセウ)といふ二頭目は、羊山(ヤウザン)を中心に、多年百姓の膏血(カウケツ)をしぼつてゐたが、
「なに曹操が寄せて来たと。曹操には兗州という地盤がある。偽物だらう。叩き潰(つぶ)してしまへ」
羊山の麓にくり出して、待ちかまへてゐた。
曹操は、戦ふ前に、
「悪来、物見して来い」
と、いひつけた。
典韋の悪来は、
「心得て候」
とばかり馳けて行つたが、すぐ戻つて来て、かう復命した。
「ざつと十万ばかり居りませう。しかし狐群(コグン)狗党(クタウ)の類で、紀律も隊伍も成つてゐません。正面から強弓をならべ、少し箭(や)風(かぜ)を浴びせて下さい。それがしが機を計つて右翼から駈け散らします」
戦の結果は、悪来のことば通りになつた。賊軍は、無数の死骸をすてゝ八方へ逃げちるやら、又は一団となつて、降伏して出る者など、支離滅裂になつた。
「いくら鳥なき里の蝙蝠(カウモリ)でも、十万もゐる中には、一匹ぐらゐ、手ごたへのある蝙蝠がゐさうなものだな」
曹操を繞(めぐ)る猛将たちは、羊山の上に立つて笑つた。
すると、次の日、一隊の豹卒(ヘウソツ)を率ゐて、陣頭へやつて来た巨漢(おほをとこ)がある。
この漢(をとこ)、馬にも乗らず、七尺以上もある身の丈を持ち、鉄棒を搔(か)い込んで双の眼をつりあげ、漆黒の髯を山風に顔から逆しまに吹かせながら、
「やあやあ、俺を誰と思ふ。この地方に隠れもない、截天夜叉(セツテンヤシヤ)何曼(カマン)といふのはおれのことだ。曹操は何処(どこ)にゐるか。真(まこと)の曹操ならこれへ出て、われと一戦を交へろ」
と、どなつた。
曹操は、をかしくなつて
「誰か、行つてやれ」
と、笑いながら下知した。
「よし、拙者が」
と、旗本の李典が行かうとすると、いや此(この)方(ハウ)に譲れと、曹洪が進み出て、わざと馬を降り、刀を引つ提(さ)げて、何曼に近づき、
「真の曹将軍は、貴様ごとき野猪(ヤチヨ)の化物と勝負はなさらない。覚悟しろ」
斬りつけると、何曼は怒つて、大剣をふりかぶつて来た。
この漢、なか/\勇猛で、曹洪も危ふく見えたが、逃げると見せて、急に膝をつき後(うしろ)へ薙(な)ぎつけて見事、胴斬りにして漸(やうや)く屠つた。
李典は、その間に、駒をとばして、賊の大将黄邵を、馬上で生(いけ)擒(ど)りにした。——もう一名の賊将、何儀のはうは、二三百の手下をつれて、葛陂(カツヒ)の堤(つゝみ)を、一目散に逃げて行つた。
すると、突然——
一方の山間から旗印も何も持たない変な軍隊がわつと出て来た。その真つ先に立つた一名の壮士は、やにはに路を塞(ふさ)いで、何儀を馬から蹴落した。もんどり打つて馬から落ちた何儀は、
「うぬ。何者だ」
と、槍を持ち直したが、壮士は逸(いち)はやくのしかゝつて、何儀を縛りあげてしまつた。
何儀についてゐた賊兵は、怖れ顫(おのゝ)いて皆、壮士の前に降参を誓つた。壮士は、自分の手勢と降人を合(あは)せて、意気揚々、元の山間へひきあげて行かうとした。
こんな事とは知らず、何儀を追ひかけて来た悪来典韋は、それと見て、
「待て/\。賊将の何儀をどこへ持つて行くか。こつちへ渡せ」
と、壮士へ呼びかけたが、壮士は肯(き)かないので、忽(たちま)ち、両雄のあひだに、龍攘虎搏(リウジヤウコハク)の一騎討が起つた。
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次回 → 牛と「いなご」(五)(2024年6月6日(木)18時配信)