第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 死活往来(九)
***************************************
穴を出ない虎は狩れない。
曹操は、あらゆる策をめぐらして、呂布へ挑んだが、
「もうその策(て)には乗らない」
と、彼は容易に、濮陽から出なかつた。
そのくせ、前線と前線との、偵察兵や小部隊は日々夜々小ぜりあひを繰返してゐたが、戦ひらしい戦ひにもならず、と云つて此地方が平穏にもならなかつた。
いや、世の乱脈な兇相は、ひとりこの地方ばかりではない。土のある所、人間の住む所、血(ち)腥(なまぐさ)い風に吹き捲られてゐる。
かういふ地上に又、戦争以上、百姓を悲しませる出来事が起つた。
或る日。
一片の雲さへなく晴れてゐた空の遠い西の方に、黒い綿を浮かべたやうなものが漂つて来た。
やがて、疾風(はやて)雲(くも)のやうに見る見るうちにそれが全天に拡がつて来たかと思ふと、
「〔いなご〕だ。いなごだ」
百姓は騒ぎ始めた。
いなごの襲来と伝はると、百姓は茫然、泣き悲しんで、鋤(すき)鍬(くは)も投げて、土蜂の巣みたいな土小屋へ逃げこみ、
「噫(あゝ)。しかたがない」
絶望と諦めの呻きを、顫(おのゝ)きながら洩らしてゐるだけだつた。
〔いなご〕の大群は、蒙古風の黄いろい砂粒よりたくさん飛んで来た。天を蔽(おほ)ふいちめんの雲かとも紛(まが)ふ妖蟲の影に、白日も忽(たちま)ち晦(くら)くなつた。
地上を見れば、地上もいなごの洪水であつた。忽ち稲の穂を蝕(く)ひ尽してしまひ、蝕ふ一粒の稲もなくなると、妖蟲の狂風は、次々と、他の地方へ移動してゆく。
後からくるいなご〔いなご〕は、喰ふ稲がない。遂には、餓殍(ガヘウ)と餓殍が嚙みあつて、何万何億か知れない虫の空骸(なきがら)が、一物の青い穂もない地上を悽惨に敷きつめてゐる。
——が、その浅ましい光景は、虫の社会だけではない。やがて人間も嚙み合ひ出した。
「喰ふ物がない!」
「生きて行かれないつ」
悲痛な流民は、喰ふ物を追つて、東西に移り去つた。
糧食とそれを作る百姓を失つた軍隊は、もう軍隊としての働きもできなくなつてしまつた。
軍隊も「食」に奔命しなければならない。しかも山東の国々ではその年、いなごの災厄のため、物価は暴騰に暴騰を辿(たど)つて、米一斛(コク)の価(あたひ)に銭百貫を出しても、なかなか手に入らなかつた。
「やんぬる哉(かな)!」
曹操は、これには、策もなく、手の下しやうもなかつた。
戦争はおろか、兵が養へないのである。やむなく彼は、陣地を引払つて、しばらくは他州にひそみ、衣食の節約を令して、この大飢饉をしのぎ、他日を待つしか方法はあるまいと観念した。
同じやうに、濮陽の呂布たりと雖(いへど)も、この災害を被らずにゐるわけはない。
「曹操の軍も、たうとう囲みを解いて、引揚げました」
さう報告を聞いても、
「うむ。さうか」
とのみで、彼の愁眉はひらかれなかつた。
彼も亦(また)、
「細く長く喰へ」
と、兵糧方に厳命した。
自然——
双方の戦争はやんでしまつた。
〔いなご〕が、人間の戦争を休止させてしまつたのである。
とは云へ。
又、春は来る、夏は巡つて来る。大地は生々(いき/\)と青い穀物や稲の穂を育てるであらう。いなごは年年襲つては来ないが、人間同士の戦争は、遂に、土が物を実らせる力のある限り永劫に絶えさうもない。
***************************************
次回 → 牛と「いなご」(二)(2024年6月3日(月)18時配信)
なお、日曜日については夕刊が休刊のため、配信はありません。