第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 張飛卒(四)
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涿県の楼桑村は、戸数二、三百の小駅であつたが、春秋は北から南へ、南から北へと流れる旅人の多くが、この宿場で驢を繫ぐので、酒を売る旗亭もあれば、胡弓を弾(ひ)く鄙(ひな)びた妓(をんな)などもゐて、相当に賑はつてゐた。
この地は又、太守劉焉の領内で、校尉鄒靖といふ代官が役所をおいて支配してゐたが、何分、近年の物情騒然たる黄匪の跳梁に脅やかされてゐるので、楼桑村も例に洩れず、夕方になると明るいうちから村端(はづ)れの城門をかたく閉めて、旅人も居住者も、一切の往来は止めてしまつた。
城門の鉄扉が閉まる時刻は、大陸の西厓(サイガイ)にまつ赤な太陽が沈みかける頃で、望楼の役人が、六つの鼓(コ)を叩くのが合図だった。
だから此辺(このへん)の住民は、そこの門の事を、六鼓門と呼んでゐたが、今日も亦(また)、赤い夕陽が鉄の扉(と)に映(さ)しかける頃、望楼の鼓が、もう二つ三つ四つ……と鳴りかけてゐた。
「待つて下さい。待つて下さいつ」
彼方から驢を飛ばして来たひとりの旅人は、危(あやふ)く一足ちがひで、一夜を城門の外に明かさなければならない間際だつたので、手をあげながら馳けて来た。
最後の鼓の一つが鳴らうとした時、からくも旅人は、城門へ着いて、
「おねがひ致します。通行をおゆるし下さいまし」
と、驢をそこで降りて、型の如く関門調べを受けた。
役人は、旅人の顔を見ると、
「やあ、お前は劉備ぢやないか」
と、云つた。
劉備は、こゝ楼桑村の住民なので、誰とも顔見知りだつた。
「さうです。今、旅先から帰つて参つたところです」
「お前なら、顔が手形だ、何も調べはいらないが、いつたい何処へ行つたのだ。今度の旅は又、ばかに長かつたぢやないか」
「はい、いつもの商用ですが、何分、どこへ行つても近頃は、黄匪の横行で、思ふやうに商(あきなひ)もできなかつたものですから」
「さうだらう。関門を通る旅人も、毎日減るばかりだ。さあ、早く通れ」
「ありがたう存じます」
再び、驢に騎(の)りかけると、
「さうさう、お前の母親だらう、よく関門まで来ては、けふもまだ息子は帰りませぬか、今日も劉備は通りませぬかと、夕方になると訊ねに来たのが、此頃すがたが見えぬと思つたら、煩病(わづら)つて寝てゐるのだぞ。はやく帰つて顔を見せてやるがよい」
「えつ。では母は、留守中に、病気で寝てをりますか」
劉備は遽(にはか)に胸さわぎを覚え、驢を急がせて、関門から城内へ馳けた。
久しく見ない町の暮色にも、眼もくれないで彼は驢を家路へ向けた。道幅の狭い、そして短い宿場町は直ぐとぎれて、道はふたゝび悠長な田園へかゝる。
ゆるい小川がある。水田がある。秋なのでもう村の人々は刈入にかゝつてゐた。そして所々に見える農家の方へと、田の人影も水牛の影も戻つて行く。
「ああ、わが家が見える」
劉備は、驢の上から手をかざした。舂(うすづ)く陽(ひ)のなかに黒くぽつんと見える一つの屋根と、そして遠方から見ると、まるで大きな車蓋のやうに見える桑の木。劉備の生れた家なのである。
「どんなに自分をお待ちなされて居ることやら。……思へば、わしは孝養を励むつもりで、実は不孝ばかり重ねてゐるやうなもの。母上、済みません」
彼の心を知るか、驢馬も足を早めて、やがて懐(なつか)しい桑の大樹の下まで辿りついた。
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次回 → 桑の家(二)(2023年9月20日(水)18時配信)