第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 死活往来(二)
***************************************
快鞭一打——
曹操は、大軍をひつさげて、国元へ引つ返した。
彼は、難局に立てば立つほど、壮烈な意気にいよ/\強靱を加へる性(たち)だつた。
「呂布、何者」
とばかり、すでに対手(あひて)をのんでゐた。奪はれた兗州を奪回するに、何の日時を費やさうぞと、手に唾(つば)して向つて行つた。
軍を二つに分け、従弟(いとこ)の曹仁をして兗州を囲ませ、自身は濮陽へ突進した。敵の呂布は、濮陽(河北省・開州)を占領して、そこの州城にゐると見たからである。
濮陽に迫ると、
「休め」
と、彼は兵馬にひと息つかせ、真ツ紅な夕陽が西に沈むまで、動かなかつた。
その前に、従兄(いとこ)の曹仁が、彼に向つて注意した言葉を、彼はふと胸に思ひ出した。
それは、かういふ事だつた。
「呂布の大勇にはこの近国で誰あつて当る者はありません。それに近頃、彼の側には、例の陳宮が付き従つてゐるし、その下には文遠(ブンヱン)、宣高(センカウ)、郝萌(カクハウ)などと称(よ)ぶ八人の猛将が手下に加はつてをるさうです。よく/\お心をつけて向はぬと、意外に臍(ほぞ)を嚙むやも知れませんぞ——」
曹操は、その言葉を今、胸に反復してみても、格別、恐怖を覚えなかつた。呂布に勇猛あるかも知れぬが、彼には智慮がない。策士陳宮の如きは、多寡(タクワ)の知れた素浪人、しかも自分を裏切り去つた卑怯者、目にもの見せてやらうと考へるだけであつた。
一方。
呂布は、曹操の襲来を知つて、藤(トウ)県から泰山(タイザン)の難路をこえて引つ返して来た。彼も亦(また)、
「曹操、何かあらん」
といふ意気で、陳宮の諫めも用ひず、総軍五百餘騎を以(もつ)て対峙(タイジ)した。
曹操の烱眼(ケイガン)では、
「彼の西の寨(とりで)こそ手薄だな」
と見た。
で、暗夜に山路を越え、李典、曹洪、于禁、典韋などを従へて、不意に攻めこんだ。
呂布はその日正面の野戦で曹操の軍をさん/゛\に破つてゐたので、勝(かち)軍(いくさ)に驕(おご)り、陳宮が、
「西の寨が危険です」
と、注意したにも関はらずさう気にもかけず眠つてゐた。
濮陽の城内は混乱した。西の寨は忽(たちま)ち陥落して曹操の兵が旗を立てた。けれど刎(は)ね起きた呂布が、
「寨は我一人でも奪回して見せん。汝等入りこんだ敵の奴ばらを、一匹も生かして返すな」
と、指揮に当ると、彼の麾下(キカ)はまたゝくまに、秩序をとりかへし、鼓を鳴らして包囲して来た。
山間の嶮をこえて深く入り込んだ奇襲の兵は、元より大軍でないし、地の理にも晦(くら)かつた。一度、占領した寨は、かへつて曹操等の危地になつた。
乱軍のうちに、夜は白みかけてゐる。身辺を見ると恃(たの)む味方もあらかた散つたり討死してゐる。曹操は死地にある事を知つて、
「しまつた」
遽(にはか)に寨を捨てゝ逃げ出した。
そして南へ馳けて行くと、南方の野も一面の敵。東へ逃げのびんとすれば、東方の森林も敵兵で充満してゐる。
「愈々(いよ/\)いかん」
彼の馬首は、行くに迷つた。ふたゝびゆうべ越えて来た北方の山地へ奔(はし)るしかなかつた。
「すはや、曹操があれに落ちて行くぞ」
と、呂布軍は追跡して来た。勿論、呂布もその中にゐるだらう。
逃げまはつた末、曹操は、城内(ジヤウナイ)街(まち)の辻を踏み迷つて、鞭も折れんばかり馬腹を打つて来た。すると又もや前面にむらがつてゐた敵影の中から、カン/\カン/\と梆子(ひやうしぎ)の音が高く鳴つたと思ふと、曹操の身一つを的(まと)に、八方から疾風のやうに箭(や)が飛んで来た。
「最期だつ。予を助けよ。誰か味方はゐないか!」
さすがの曹操も、思はず悲鳴をあげながら、身に集まる箭を切り払つてゐた。
***************************************
次回 → 死活往来(四)(2024年5月25日(土)18時配信)