第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 死活往来(一)
***************************************
——変な事を云ふ奴だ。
呂布は迂(う)〔さん〕臭い顔して、その男の風采を黙つて見つめてゐた。
それは、陳宮であつた。
先頃、陶謙に頼まれて、曹操の侵略を諫止せんと、説客に赴いたが、かへつて曹操に一蹴されて不成功に終つたのを恥ぢて、徐州に帰らず、そのまゝこゝの張邈の許へ隠れてゐた彼だつた。
「なんで吾輩の馬が、いたづらに肥えてゐると嘆くのか。よけいなおせツかいではないか」
呂布が云ふと
「いや、勿体ないと申したのです」と、陳宮は云ひ直して
「駒は天下の名駿赤兎馬、飼ひ人は、三歳の児童もその名を知らぬはない英傑であられるのに、碌々(ロク/\)として、他家に身を寄せ、この天下分崩、群雄の競ひ立つてゐる日を、空しく鞭を遊ばせてゐるのは、実に惜しいことだと思つたのです」
「さういふ君は一体誰だ」
「陳宮といふ無名の浪人です」
「陳宮?……。では以前、中牟県の関門を守り、曹操が都落ちをした時、彼を助ける為(ため)、官を捨てゝ奔(はし)つた県令ではないのか」
「さうです」
「いや、それはお見それした。だが、君は吾輩に今、謎みたいな事を云はれたが、何(ど)ういふ真意なのか」
「将軍は、この名馬を曳(ひ)いて、生涯、食客や遊歴に甘んじてゐるおつもりか。それを先に聞きませう」
「そんな事はない。吾輩にだつて志はあるが時(とき)利(り)あらずで」
「時は眼前に来てゐるではありませんか。——今、曹操は徐州攻略に出征して、兗州にわづかな留守がゐるのみです。この際、兗州を電撃すれば、無人の野を収める如く、一躍尨大(バウダイ)な領土が将軍のものになりませう」
呂布の顔色に血がさした。
「あつ、さうか。よく云つてくれた。君の一言は、吾輩の懶惰(ランダ)をよく醒ましてくれた。やらう!」
それからの事である。
兗州は兵乱の巷(ちまた)になり、虚を衝いて侵入した呂布の手勢は、曹操の本拠地を占領してから、更に、勢ひにのつて、濮陽方面にまで兵乱をひろげてゐた。
× ×
× ×
「不覚!」
曹操は、唇を嚙んだ。
われながら不覚だつたと悔いたがもう遅い。彼は、徐州攻略の陣中で、その早(はや)打(うち)を受けとると
「どうしたものか」
と、進退谷(きは)まつたものゝ如く、一時は茫然自失した。
けれど、彼の頭脳は、元来が非常に明敏であつた。又、太ッ腹でもあつた。一時の当惑から脱すると、すぐ鋭い機智が働いて、常の顔いろに返つた。
「最前、城内からの劉備玄徳の使者は、まだ斬りはしまいな。——斬つてはならんぞ。急いでこれへ連れて来い」
それから彼は、玄徳の使(つかひ)に、
「深く考へるに、貴書の趣きには、一理がある。仰せにまかせて、曹操は潔く撤兵を断行する。——よろしく伝へてくれい」
と、掌(てのひら)を返すやうに告げて、使者を丁重に城中へ送り帰し、同時に洪水の退(ひ)くやうに、即時、兗州へ引揚げてしまつた。
偶然だが、玄徳の一文がよくこの奇効を奏したので、城兵の随喜はいふまでもなく、老太守の陶謙はふたゝび
「ぜひ自分に代つて、徐州侯の封を受けてもらひたい、自分には子もあるが、柔弱者で、国家の重任にたへないから——」
と、玄徳へ、国譲りを迫つた。
しかし玄徳は、何としても肯(き)き入れなかつた。そしてわづかに近郷の小沛(セウハイ)といふ一村を受けて、一(ひと)先(ま)づ城門を出、そこに兵を養ひながら、猶(なほ)よそながら徐州の地を守つてゐた。
***************************************
次回 → 死活往来(三)(2024年5月24日(金)18時配信)