第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 秋雨(あきさめ)の頃(二)
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冷たい秋の雨は、蕭条と夜中まで降りつゞいてゐた。
暗い廊に眠つてゐた張闓は、何思つたか、むつくりと起きて、兵の伍長を、人気のない所へ呼び出して囁(さゝや)いた。
「宵から、兵隊たちが皆、不平顔をしてゐるぢやないか」
「仕方がありません。何しろ日頃の手当は薄いし、こんなつまらぬ役を吩咐(いひつ)かつて、兗州まであんな老(おい)ぼれを護送して行つても、何の手功(てがら)にもならない事は知れてゐますからね」
伍長は、嘯(うそぶ)いて云つた。
叱るのかと思ふと、張闓は
「いや、尤(もつと)もだ、無理はない」
と、むしろ煽動して、
「何しろ、俺たちは元々、黄巾賊の仲間にゐて、自由自在に、気(き)儘(まゝ)な生活をしてゐたんだからな。——陶謙に征伐されて、やむなく仕へてみたが、たゞの仕官といふやつは、薄給で窮屈で、兵隊共が、不平勝ちに思ふのも仕方がない。……どうだ、いつその事、又以前の黄色い巾(きれ)を髪につけて、自由の野に暴れ出さうか」
「——と云つても、今となつちやあ、遅(おそ)蒔(まき)でせう」
「なあに、金さへあればいゝのだ。幸(さいはひ)、俺たちの護衛して来た老ぼれの一族は、金もだいぶ持つてゐるらしいし、百輛の車に、家財を積んでゐる。こいつを横奪りして山寨(サンサイ)へ立て籠るんだ」
こんな悪謀が囁かれてゐるとは知らず、曹嵩は、肥えた愛妾と共に、寺の一室でよく眠つてゐた。
夜も三更に近い頃——
突然、寺のまはりで、喊声(カンセイ)がわき揚(あが)つたので、老父の隣りの部屋に寝てゐた曹操の実弟の曹徳が
「やつ。何事だらう」
と、寝衣(ねまき)のまゝ、廊へ飛び出したところを、物も云はず、張闓が剣をふりかざして斬り殺してしまつた。
——ぎやツつ。
といふ悲鳴が、方々で聞えた。曹嵩のお妾(めかけ)は、
「ひツ、ひと殺しつ」
と絶叫しながら、方丈の墻(かき)をこえて逃げようとしたが、肥つてゐるので転げ落ちたところを、張闓の手下が槍で突き刺してしまつた。
護衛の兵は、兇悪な匪賊と変じて、一瞬の間に、殺戮を恣(ほしいまゝ)にしはじめたのである。
老父の曹嵩も、厠(かはや)へかくれたが発見されて、ズタ/\に斬り殺されてしまひ、その他の家族召使(めしつかひ)など百餘人、総(すべ)て血の池の中へ葬られてしまつた。
曹操から迎へのため派遣されて付いてゐた使者の応劭は、この兇変に度を失つて、わずかな従者と共に危難は脱したが、自分だけ助かつたので後難を惧(おそ)れたか、主君の曹操のところへは帰りもせず、その地から袁紹を頼つて逃亡してしまつた。
——酸鼻な夜は明けた。
まだそぼ降つてゐる秋雨の中に、山寺は火を放たれて焼けてゐた。そして、張闓一味の兇兵は、百餘輛の財物と共に、もう一人も居なかつた。
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兗州の曹操は、変を聞いて、嚇怒(カクド)した。
「老父をはじめ、我一家の縁者を、みな殺しにした陶謙こそ、不具戴天(フグタイテン)の仇敵(キウテキ)である」
と、眦(まなじり)を裂いて云つた。
彼は飽(あく)まで、老父の遭難を陶謙の罪として怨んだ。
若年の頃自分の邪推から、叔父の一家をみな殺しにして、平然とすましてゐた曹操ではあつたが、それと似た兇変が今、自分の身近にふりかゝつてみると、その残虐を憎まずにゐられなかつた。その酷(むご)たらしさを聞いて哭(な)かずにゐられなかつた。
「徐州を討て」
即日、大軍動員の令は発せられた。軍の上には報讐雪恨(ホウシウセツコン)と書いた旗が翻(ひるがへ)つた。
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次回 → 秋雨(あきさめ)の頃(四)(2024年5月21日(火)18時配信)