第一回 → 黄巾賊(一)
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牛輔の死が伝へられた。又、それを殺した胡赤児も、呂布に斬られたといふ噂が聞えた。
「この上は、死か生か、決戦あるのみだ」
と、敵の四将も臍(ほぞ)をかためたらしい。
四将の一人、李傕は、
「呂布には、正面からぶつかつたのでは、所詮、勝目はない」
と、呂布が勇のみで、智謀に長(た)けないのを〔つけ〕目として、わざと敗れては逃げ、戦つては敗走して、呂布の軍を、山間に誘ひこみ、決戦を長びかせて、彼をして進退両難に陥らしめた。
その間——
張済と樊稠の二将は、道を迂回して、長安へ進んでしまつた。
「長安が危い。はやく引返して防げ」と、王允から幾たびも急使が来たが、呂布は動きがつかなかつた。
山峡の隘地(アイチ)を出て、軍を返さうとすれば、忽ち、李傕や郭汜の兵が、沢や峰や渓谷の陰から、所きらはず出て来て戦を挑むからだつた。
好まない戦だが、応戦しなければ潰滅するし、応戦してゐれば果しがない。
結局、空しく、進退を失つたまま、幾日かを過ごしてゐた。
一方。
長安へ向つて、殺到した張済、樊稠の軍は、行くほどに、勢をまして、
「董卓の仇をとれ」
「朝廷をわが手に奉ぜよ」
と、潮の決するやうな勢で、城下へ肉薄して行つた。
然(しか)し、そこには、鉄壁の外城がある。いかなる大軍も、そこでは喰ひ止められるものと人々は考へてゐたところ、何ぞ計らん、長安の市中に潜伏して生命(いのち)を保つてゐた無数の旧董卓派の残党が、
「時こそ来れ」
とばかり、白日の下に躍(をど)り出して、各城門を内部からみな開けてしまつた。
「天われに与(くみ)す」
と、西涼軍は、雀(こ)躍(をど)りして、城内へなだれこんだ。それはまるで、堤を切つた濁流のやうだつた。
雑軍の多い暴兵である。ひとたび長安の巷に躍ると、狼藉いたらざるなしの態(テイ)たらくであつた。
ついこの間、酒壺をたゝき、平和来(ヘイワライ)を謳(うた)つて、戸(コ)毎(ごと)に踊り祝つてゐた民家は、ふたゝび暴兵の洪水に浸され、渦まく剣光を阿鼻叫喚に逃げ惑つた。
どこまで呪はれた民衆であらうか。
無情な天は、そこから揚(あが)る黒煙に、陽(ひ)を潜め、月を隠し、たゞ暗々(アン/\)瞑々(メイ/\)、地上を酸鼻にまかせてゐるのみであつた。
変を聞いて。
呂布は、一大事とばかり、漸(やうや)く山間の小(こ)競合(ぜりあひ)をすてゝ引返して来た。
だが、時すでに遅し——
彼が、城外十数里のところまで駆けつけて来てみると、長安の彼方、夜空いちめん真赤だつた。
天に冲(チウ)する火焰は、もうその下に充満してゐる敵兵の絶対的な勢力を思はせた。
「……しまつた!」
呂布は呻(うめ)いた。
茫然と、火光の空を、眺めたまゝ暫(しばら)く自失してゐた。
やんぬる哉(かな)。さすがの呂布も、今は如何(いかん)ともする術もなかつた。手も足も出ない形とはなつた。
「さうだ、一(ひと)先(まづ)、袁術の許へ身を寄せて後図(コウト)を計らう」
さう考えて、軍を解き、わづか百餘騎だけを残し、遽(にはか)に道を更(か)へて、夜と共に悄然と落ちて行つた。
前には、恋の貂蟬を亡(うしな)ひ、今また争覇の地を失つて、呂布のうしろ影には、いつもの凜々たる勇姿もなかつた。
好漢(カウカン)惜(をし)むらくは思慮が足らない。又、道徳に缺(か)けるところが多い。——天はこの稀世の勇猛児の末路を、抑(そも)、何処(いづこ)に運ばうとするのであらうか。
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次回 → 大権転々(三)(2024年5月15日(水)18時配信)